第2回 映画部活動記録(2019/12/20実施)
『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』(2019)
監督:まんきゅう(「アイドルマスターシンデレラガールズ劇場版」など)
脚本:角田貴志(ヨーロッパ企画)
ナレーション:井ノ原快彦
本上まなみ
主題歌:『冬のこもりうた』原田知世
公式サイト:http://sumikkogurashi-movie.com/
参加者
K.K、小林、N.A、O.K、加藤
N.Aさん、最後の参加となりました。
子ども向けのアニメ映画だけど大人にも響く、『ジョーカー』と内容が似ているなど、さまざまな前評判を聞いての鑑賞だったので、期待値が高すぎて響かなかったらどうしよう等と上映前に話していたのですが、杞憂におわりました。鑑賞後は、殴りあうかのごとく白熱した意見のぶつけ合いが……。
論文くらいは書けそうな勢いで、いろいろ考えることができました。
小林
カップルが映画の最中いちゃつける度:★★★★★
大人にこそ見て欲しい度:★☆☆☆☆
もう一度観たい度:★☆☆☆☆
総評:★☆☆☆☆
幸せなクリスマスのカップルには嫉妬しか湧かない!
映画の中のすみっこたちは幸せである。彼らはすみっこにいることで幸せを感じ、それを否定する人もその場所がなくなるような災難に見舞われることもない、ユートピアを生きている。
彼らはそれぞれにすみっこにいる理由はある。「とんかつ」は食べられなかったとんかつのはしっこの脂身だし、「エビフライ」も食べられなかった尻尾である。
でもそれを受け入れて、すみっこに暮らしている幸せものである。
幸せな者たちに感情移入は出来ない。赤ちゃんを見て「可愛い〜」と言うくらいの感想しか出てこない。
もしくは幸せなクリスマスのカップルを見て、あの男は絶対浮気しそう!と嫉妬することになる。
キャラクターは見てるだけで可愛いと思えるのが価値であるから、幸せなものたちで十分である。
しかし映画になったら「かわいい」だけで1時間は辛すぎる。楽しいことと辛いことがあって、それを経験した主人公の変化を追体験出来るのが映画の良さであると思う(そうじゃない映画もあるけど…)。
映画の中のすみっこたちには彼ら自身のアイデンティティを脅かすような災難には巻き込まれない。
と言うか彼ら自身の気持ちを揺り動かすようなドラマはほとんどない。
幸せな彼らは、迷い込んだ絵本の世界でひとりぼっちの可哀想なひよこを見つけ、元の世界に戻してあげようと冒険するが…結局は助けられず、「出来る限りのこと」をして、それぞれの幸せな日常に戻っていく。
変化も何もない……
是非すみっこぐらしパート2では、四隅が世界中からなくなって、世界の中心に行かざるを得なくなった「すみっこたちの物語」すみっこが行方不明の子供を見つけたことで「スーパーすみっこ」としてマスコミに追いかけられるとか、すみっこのアイデンティティを揺るがすようなドラマチックな映画を期待したい。
N.A
2019年、映画館で観る最後の映画がすみっコぐらしになるなんて、なんとも消化できない気持ちで年の瀬を迎えるなんて、思ってもみませんでした。
部屋のすみが好きなすみっコたちが、絵本の中ではそれぞれが脱すみっコして、童話の主人公として奮闘する姿にほっこりしてたのに、突然の非情な展開。まだ、気持ちの整理がついてないんだけど……と置いていかれます。
普通ならもう一悶着か二悶着ありそうなところですが、上映時間65分の妙とゆうか、気持ちぐわんぐわん揺さぶってきます。120分は必要だったんじゃないかな。
“すみっコたちが3日3晩寝ずに考えて出した答えです”
”それでも彼らは自分たちが下した決断が果たして正しかったのか、自問自答せずにはいられませんでした”
と言ってほしいぐらい。
ただ、やさしい気持ちになれる映画だったことは間違いないので、ぜひ親しい人と一緒に観に行ってほしいなぁと思います。
O.K
心がぐちゃぐちゃになる度:★★★★★∞
大人にこそ見て欲しい度:★★★★★
もう一度観たい度:★★☆☆☆
総評:★★★★☆
アニメ映画は久しぶりでしたが、期待以上に感情が揺さぶられる映画でした。正直見終わったあとは怒りと悲しみと切なさで、この映画にどうやって決着をつけたらいいのか放心状態に(笑)。ちなみにもう一度見たい度の低さは、見るのに体力がいるからです(笑)。
※※なるべくネタバレなしでまとめましたが、気になる方は注意してください※※
「大人になりすぎて感情を忘れてしまっている方、ぜひ見てください」
映画前半はほのぼの進み、すみっコたちの行動がただただ可愛いくて、クスクス笑えるシーンも満載。もともとこういったキャラものに弱く、本上まなみさんとイノッチのナレーションの力もあり、癒しの空間にズブズブ浸かってしまいました。ストーリー的にも、だれかを助けたり、何かをしてもらったら感謝を伝えたりと、人生で大切なことを改めて教えてくれます。
そんな調子で、かわいいな~~癒されるな~~と油断していると、後半、いきなり現実を突きつけられます。
「え、ちょっと待って、うそでしょ……」
人間、予想していなかったことが起こると感情が追いつかないものですね。のほほんストーリーもこのためには必要だったのでしょうか? それにしても辛すぎる(泣)。
オチは結構よくある話だと思いますが、前半との高低差が激しすぎて、心がぐちゃぐちゃになりました。心して見たほうがいいです。ただし、感情移入しすぎると危険です。私のように我を忘れて製作陣に怒りを覚えることになります(笑)。
私個人の意見としては、ハッピーエンドではなかったと思います。人によって違うと思うので、ぜひみなさんの感想が知りたいところです。
この映画は癒しだけではありませんでした。笑って、泣いて、怒って……久しぶりにこんなに自分の感情を感じることができたかもしれません。生きるってこういうことだなあ……(壮大)。
大人になりすぎて感情を忘れてしまっている方、ぜひ見てください。
映画部は初参加でしたが、いろんな年代、立場で語り合えるいい機会でした。次も参加したいです!
加藤
道徳の教材に使ってほしい度:★★★★★
自分の立場を顧みる度:★★★★★
“自己満足”を考える度:★★★☆☆
もう一度観たい度:★★★★★
総評:★★★★
(以下、ほんのりとネタバレあり)
とんでもないジェットコースター
「かわいい~~」と、膝に出していたハンカチで口元を押さえながら悶えていた前半。手足が短くて、ぽよぽよと歩いている生き物を見れば、自然と口角は上がるものである。
すみっコたちはセリフは話さず動くだけ。「どうする? 」等のちょっとした言葉はあるものの、基本的にはナレーションと映像で物語は進んでいく。すみっコの世界観を壊さず、ナレーションの声もやさしい。大人が癒しを求めて、こぞって観に行くのも頷ける。
いつものメンバーで過ごすすみっコたちは、ひょんなことから飛び出す絵本のなかに入ってしまう。そこで出会ったのは、どこから来たのか、自分はだれかも分からない「ひよこ? 」。
この、ひよこ? のお家や仲間を探していこう! というのが本筋なのであるが、その間にもちょっとしたハプニングが満載。そのハプニングへの対応がまさしくすみっコたち、それぞれの個性が出ていて本当にかわいい。かわいいんだけど……かわいいからこその、終盤の絶望感がすごい。何もわからず、「かわいそうだねー」と話せない自分が憎い。邪推しかできない大人になってしまった。
教室での自分の立ち位置はどこだった?
すみっコたちの設定を見てみると、みんながちょっとしたコンプレックスを拗らせて“すみ”が好きになっているのが分かる。
たとえば、「とんかつ」。とんかつは脂身が多すぎて食べてもらえなかったとんかつの端で、誰かに食べてもらうのが夢。仲良しのえびふらいのしっぽも同じ理由ですみっコになった。ほかのすみっコたちも同様に、それぞれがうつむきがちになる理由を抱えている。
すみっコたちの教室での立ち位置は……映画を観る前は、それこそ片すみ(ヒエラルキー最底辺)かなと思っていたが、映画を観てからは下から2番目、陽キャに憧れる陰キャといったところではないか。
陰キャになりきれず、自分と似たような仲間とつるんでいるやつら。羨望と、嫉妬のまじった目で、クラスの真ん中で弁当を広げる陽キャを見つめる、そんなタイプだ。
すみっこが好き、と言って、それを譲ろうという殊勝な気持ちをすみっコたちは持ち合わせていない。すみはすみ、とでも言うように、誰かの上に重なっていく。
結局、自分の居場所のことしか考えられないのである。
“誰か”のためは、本当に“誰か”のため?
今回、ひよこ? のお家探しに一番はりきるのは「ぺんぎん? 」である。緑で、自分がペンギンなのか自信がない。昔は頭にお皿が乗っていたかも……なぺんぎん? は自分探し中で、自分のことが誰かわからないひよこ? に親近感を覚えて、お家さがしてあげるね! と初っ端から走り回る。
自分探し中と看板を掲げるやつがロクでもないのは常識中の常識ではあるが。そもそもの前提が違うことを、ぺんぎん? が理解していない。
ひよこ? は、友だちもおらず、自分が何者か見当もつかない。それに比べて、ぺんぎん? は友だちがいて、自分が何者かいくつかの候補がある。小学3年生ですら、実験をするときは前提条件を変えてはいけないことくらい知っている。これでは、「ぼくたち一緒だね! 」にはならないのである。
結局、ぺんぎん? は、「ひよこ? の居場所をみつけることで得られる疑似的な満足感」が欲しかったのではないか。ぺんぎん? がひよこ? に与えたのは、所詮自己満足にすぎない。劇中、ひよこ? にすみっこをおすそ分けしていたが、これはひよこ? が仲間じゃないからできたこと。仲間じゃないから、気軽に優しさを与えたにすぎない。
もし、ひよこ? がすみっコたちの世界に来たら……ぺんぎん? はひよこ? とずっと仲良くできていただろうか。ひよこ? は新しい世界に馴染めず、さらにツラい思いをしたのではないだろうか。
最後、すみっコたちはひよこ? のために、ひよこ? のいるページに自分たちとそっくりの鳥を書き足している。しかし、これらの鳥たちが本当にひよこ? の仲間になったのかを、私たちは知ることはない。一応エンドロールで、ひよこ? が書き足された鳥たちと過ごす姿は映されるが、そのあとにはすみっコたちが眠っている姿がある。つまり、すべてすみっコたちの夢の中で起こったこと、妄想である。
また、すみっコたちが今後絵本を開く可能性はあるだろうか。絵を描いたことに満足して、絵本は今後開かれない可能性は極めて高い。自分にとって都合のよい解釈をして、忘れていく。切ないけれど、それが生き物のもつサガで、当然のことなのだ。
ひよこ? の住んでいるとびだす絵本は、また少しずつ忘れられて、ホコリかぶっていく。ひよこ? が救われることはない。すみっコたちのエゴを押し付けられて、すみっコたちとの記憶を思い返して、その幸せな記憶が消えていくことにおびえながら生きていくことになっただけだ。
自分はどの“すみっコ”?
帰り道、一人になったときに私を襲ってきたのは、これまでの自己満足による行動とそれに付随する後悔だった。ぺんぎん? のことを散々なじっておいて、私も結局は自己満足のかたまりなのである。
誰かと関わる判断をするとき、本当にその判断はその人にとっての一番なのか、最終的に“誰か”を傷つける結果にならないか。
子どもに「ひとに優しくしないとだめだよ」と言う立場にある大人には、考えるきっかけをくれる作品と言えそうだ。
ひよこ? に寄り添っていた、とかげ?(恐竜の生き残りだが、見つかると大騒ぎになるためとかげのフリをして生きている)のようになりたいものである。
※2020/1公開、2022/6/26再編集。画像・動画はお借りしています。