映画部活動報告

月1くらいで開催される映画部の活動報告場所

第3回 映画部活動記録(2020/2/21実施)

『パラサイト 半地下の家族』(2019)

カンヌ国際映画祭パルムドール・第92回アカデミー賞作品賞受賞


監督・脚本:ポン・ジュノ(『吠える犬は噛まない』『殺人の追憶』『母なる証明』『スノーピアサー』他)
出演:ソン・ガンホ
   チャン・ヘジン
   チェ・ウシク
   パク・ソダム

公式サイト:http://www.parasite-mv.jp/

参加者
小林、O.Y、加藤

2020年、最初の映画部の活動でした!

大注目の作品ということで、見ごたえは抜群。観終わったあと、かなりの盛り上がりを見せました。

一つのシーンに対しても、さまざまな見解が出てくるのがこういった会の良いところだなぁとしみじみ感じます。

小林

バカ映画度:★★★★★
韓国のことを勉強したくなる度:★★★★★
もう一度観たくなる度:★★★★★
総評:★★★★★

個人的には数年来の傑作で大好きな作品。

スラップスティクなブラックコメディで1900円の価値はきっとあると思います。
是非劇場での鑑賞をお勧めします。

いかに感想を述べますが、大前提として韓国の文化に根ざしたシーンやセリフが散見されたので、本来は韓国の文化的背景や歴史などを認識する必要性を感じます。

今回は調べていると時間がいくらあっても足らないので(笑)割愛しますが、そうした文化を背景にした監督の「企み」を感じさせるのもこの映画を傑作だと思う所以です。

▼▼ネタバレありあり感想▼▼

計画と絶望、無計画な夢、そして現実という名の悪夢

「計画」と「無計画」という言葉が、この映画には何度も出てくる。

「計画」によって金持ちを騙し、幸せを手に入れた半地下家族。

しかし幸せを掴んだのもつかの間、金持ち宅の地下に住んでいた想定外の邪魔者によって、その「計画」は崩されていく。

自分たちが建てた「計画」に自惚れていたことに気づいたところから、半地下家族は「無計画」の奈落へと落ちていく。

夢破れた半地下家族

彼らの境遇も計画通りではない。

大学に行けなかった息子。偽の身分証を作れるほどの洞察力がありながら美大に行けなかった娘。事業に失敗し続けた父。はっきりは示されていないがオリンピックへ行けなかった母。

彼らは計画がうまく行かず夢破れた人々だ。

だからこそ金持ち家族を騙す計画がうまく行けばいくほど、その計画にのめり込んでいた。

無計画で猥雑な街

また彼らの住む街も「計画」と「無計画」が反映されている。金持ち宅の水平・垂直の取れた家。整然と計画された街。

それに比べて半地下家族の住む町は看板や電線が猥雑に溢れかえり、「無計画」の極みを見せている。ブレードランナー攻殻機動隊をイメージさせるようなデストピアな街並みである。

思うにまかせぬ豪雨

さらに彼らに追い討ちをかけるのは、究極に計画できない「豪雨」だ。豪雨をきっかけに「計画」は綻びを見せ、豪雨の引き起こした水害は半地下家族の家を飲み込んで行く。そして計画することの虚しさを家族に突きつけて行く。

現実という悪夢

この映画の終盤は「無計画」な殺人を犯し、不本意ながら金持ち宅の地下住人になってしまった父を、息子が本物の金持ちになる「計画」を立て、金持ち宅まで父を迎えにいくシーンである。ハリウッド映画ならココで終わる。しかし監督はさらに残酷な現実を観客に突きつける。父を迎えに行ったのは「夢」であり、息子は半地下で薄ら笑いを浮かべながら、ぼんやりと「計画」を夢想している。

そのシーンを半地下を象徴する窓から、さらに「下」へカメラがパンして主人公を捉える秀逸なカットで象徴している。「計画」しても決して上手くいくことのない虚しさを観客に感じさせる。それは例え「無計画」でももう二度と行けるものではないだろう。

そもそもこの映画全てが夢だったのではないだろうか。あまりにうまく行き過ぎた家族寄生計画。あまりにアホな金持ち家族など、類型的な描写は全て半地下家族の「夢」だったのかもしれない。

夢は必ず覚める。そしてその前に現れるのは半地下から覗く猥雑な日常とその匂いだけなのだ。

※上記の写真は1年間のTVシリーズ全部夢でした!という夢オチで、小林の人生を変えた超光戦士シャンゼリオン(笑)

O.Y

高低差度:★★★★★
是枝・新海度:★★★★☆
もう一度観たい度:★★★★☆
総評:★★★★☆

初の映画部でした。
元々観たかった映画なので、企画していただいた加藤さんに感謝です!

黒澤の『天国と地獄』みたいに、「富裕層/貧困層」という上下関係を居住地(高台/低地)で表現するのって多分古典的だと思います。しかしこの映画では、「下には下がいる」っていう部分に一捻りを加えていて、ベタを超えてるなと思いました。

高低差としては、他にも、「コメディ/サスペンス」の演出や、脚本の急展開にもクラクラきました。結構長いわりに飽きたりはしないんですが、疲れました。

同じ東アジア圏の人間として、中国や韓国の映画や小説に対して、自分の日常や文化・社会と似ているんだけどどこか違う感じ、リアリティと微妙な違和感を楽しんでいます。ある種のSFと同じような感じです。この映画にもそのような楽しみがありました。
これは、各所で散々言われていることですが、長雨や貧困家族って点で『万引き家族』や『天気の子』とのつながりを強く感じました。

私ごときが点をつけるまでもなく、全世界的に評価されている映画ですし、観て損はしないと思います。

ものすごい血が苦手とかだとやめたほうがいいかもしれません。

加藤

展開が読めない度:★★★★☆
誰かに話したくなる度:★★★★★
もう一度観たくなる度:★★★★★∞
総評:★★★★★

人間の本質は“善”か、“悪”か

性善説」と「性悪説」というものがある。対照的な二つの説のどちらを支持するかは、人それぞれで、どちらが正しいということもない。

孟子が唱えた「性善説」は、生まれながらにして人間は善の心を持っているというもの。荀子が唱えた「性悪説」は、人は生まれつき利を好み、人を憎み、快楽を求める生き物だとし、人は善人となるために努力をしなくてはいけないと説いている。

この作品の主人公たちは、半地下に住む一家である。タイトルの通り、彼らが金持ちに“寄生”する様子が描かれている。

寄生する彼らは、生まれながらの善人か、それとも悪人か。展開が予測できなくなったあたりで、分からなくなる。物語がはじまったとき、彼らはきっと「善人」に分類される存在だからだ。

彼らが暮らす「半地下」は、Wi-Fiもなく電波の“おこぼれ”を探さなくてはいけないような場所だ。しかし、生活には本格的に切羽詰まった様子はないし、生活の改善に本腰を入れる様子もない。

いわゆる“完全な悪”ではない彼らが、寄生のために手始めに行うことは、「ちょっと魔が差した」の一言で片づけることもできる。

スーパーヒーローに倒されるべき悪人がいない物語は、どこに終着するのか。この作品は、それを見届けるためにある。

寄生するなら、スタイリッシュに

寄生される家族は、分かりやすいほど目に見えて裕福な一家。

IT企業を経営する父、“シンプル”を重視する美しい妻、可愛らしくて素直な娘、感受性豊かな息子。この一家には、きっと足りていないものはない。幸せの象徴のような家族である。

この一家に寄生するまでが、とにかく面白い。分かりやすい展開とも言えるが、王道にハズレはない。寄生方法だけ見れば単純だが、いちいちこだわりが見られて、いつの間にかお気に入りのシーンが盛りだくさん。

無駄にカッコいい、底辺家族の寄生シーンは見所の一つである。

視点が変われば、“正しい”は変わる

「正義の反対は、別の正義」

そこかしこで聞くようになった言葉だが、初出はよく分かっていないらしい。少し調べたら『パワプロクンポケット7』に登場する、自称マッドサイエンティスト黒野鉄斎(黒野博士)のセリフとのこと。野原ひろしが言っているというのも見かけたことがあるし、つい最近まで放送されていたアニメのセリフにもあった。

寄生する家族は、正しいことをしているのか。これは、一般的にはNOだ。そもそも、寄生って言葉はあまり良いイメージがない。でも、仕事にもありつけない人だったら……? この人たちの気持ちを痛いほど分かるかもしれないし、これくらいなら許されると思うかも。

しかし、寄生された家族に視点を変えると……。

視点を変えれば考えも変わる。一つの出来事として事実はゆるぎないが、その事実に対しての見解はたくさんある。たぶん、私が想定するよりもずっと多く。

作品の紹介として、貧富の差ばかりが取り上げられるが、それだけじゃない。作中には、たくさんの対比が散りばめられていて、それを見つけるのが楽しい。張り巡らされた伏線が回収されるのも爽快だ。

1度でも十分楽しめるけれど、数を重ねれば見えるものも変わってくる。いくつかあるキーワードを追っていくのも良い。何度も見返したくなる、楽しみ方が無限にある作品だと思う。

※2020/3公開、2022/6/26再編集。画像・動画はお借りしています。