映画部活動報告

月1くらいで開催される映画部の活動報告場所

第5回 映画部活動記録(2020/10/16実施)

『マッドマックス 怒りのデスロード』(2017)

監督・脚本:ジョージ・ミラー(『マッドマックス』シリーズ、『ベイブ』シリーズ)
出演:トム・ハーディ
   シャーリーズ・セロン
   ニコラス・ホルト

公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfurhttps://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/index.htmlyroad/index.html

参加者
T.H、小林、F.M、T.K、O.K、加藤

 

今回は社内でプロジェクターを用いての鑑賞会でした!

思った以上の大画面で、終始テンションが上がりっぱなしの2時間……。セッティングをしてくださった、T.Kさんありがとうございました!

T.H

人と騒ぎながら一緒に観たい度:★★★★★
アメ車好きにお勧めしたい度:★★★★☆
もう一度見たくなる度:★★★☆☆
総評:★★★★☆

クルマは意外と真面目に作ってました

暴走族が支配する世界で、チーマーにつかまったヤンキーが裏切り者のレディース軍団と一緒にボスをやっつけるようなお話。戦利品は水。

映画って、ストーリーをいかにわざとらしくなく自然に視聴者に伝えて、その世界観に引き込んで感動なり恐怖なりを与えるかがキモだと思うんです。

で、この作品は説明ゼリフが本当に少ない。人間関係とかも登場人物同士の会話の一言で「あ、こいつって部下じゃなくて息子だったんだ」とかがわかってくるレベル。まあ、登場人物って関係性が出来上がっているので、いちいち説明しないのも当たり前なんですけど(たまに初出時に名前や肩書きの字幕が出てたりする作品もありますね)。

パンキッシュな外見の人ばかりですが、意外と残酷なシーンは少なくて、まさにザ・ヤンキーだけど話してみたら栃木弁丸出しの田舎もんみたいなやさしい気持ちになれるやつも結構いる。「人は見た目が9割」と思っている人は、この映画を見るとその残りの1割の人の気持ちがわかるかもしれない。

なにが楽しいって、今回は会社で見たので、映画館みたいにヒソヒソ声で話さなくてもいいってところ。女子2名(加藤さん、H.Mさん)の笑い声で、この映画本来のバイオレンス性がだいぶ和らげられて、とても楽しめました。やばそうな映画はこのふたりと一緒に見ると誰でも楽しめると思います。

個人的には、随所に見られるクラシックなアメ車のモチーフがよかったですね。アメリカだと、トラクターを改造した数千馬力のドラッグレースとか、とてつもないタイヤサイズのモンスタートラックレースとかもあるので、車だけなら意外とリアリティはあります。愛すべきアホアメリカ人たちのお祭り、みたいな映画でした。

https://www.youtube.com/watch?v=vyhDJEN70Gc

https://www.youtube.com/watch?v=zU42Psu2HTk

小林

狂った老人が作るMAD MAXな映画!

MAD MAXがすごいのは余計な説明シーンを極力拝して、見せ場! 見せ場! 見せ場! の連続なところ。

日本映画にあるような喫茶店やクラスで人物の設定をくっちゃべるような、かったるいシーンは一切なし。全ては狂った追いかけっこの中で語られる。

主人公のマックスもおそらく子どもを見殺しにしたという過去があるってことを見せるだけで、冒頭から最後まで逃げまくり、走りまくり! 戦いまくり(掴まっているシーンは巻き込まれているだけだけど)! 敵に追いかけられて、戦って、勝って、敵の王国を開放する。

なんてシンプルな映画なんだろう。

観客が見たいのは「狂った死のレースだろ」と言わんばかりのサービス精神である。

これを70過ぎたジョージ・ミラーが監督しているのだから、さらにすごい!

もうイカれているとしか思えない……

7人の侍であれだけチャンバラを撮った黒澤明も晩年は「夢」みたいなイメージ映画ばっかりになってた。

ジョージミラーはマッドマックスの第一作をオーストラリアで「自主映画」で撮影していた時から変わらない。むしろ前よりもテンションが高い映画を撮影している! 初心忘るべからずとはこのことである。

他に初心を忘れていないのはジェームズキャメロンくらいだろうか。

だが一体いつアバター2・3・4は公開するんだろうか……。

ジョージ・ミラー (プロデューサー)

ジェームズ・キャメロン

夢 (映画)

こんな狂った映画を70過ぎたジジイが監督し、見せてくれると言う点も踏まえてとても前向きな気持ちになる!皆さん是非、第スクリーン、大きい画面で見てほしい快作です!!!

 

F.M

気分転換度:★★★★★
頭が空っぽになる度:★★★★★
もう一度観たい度:★★★★★
総評:★★★★★

とても好きな映画なので評価は贔屓目です。

破天荒な展開ではありますが、それを細部まで拘り大真面目で作っているだけあって鑑賞後の満足度は何回見ても満腹を感じられます。

よく「冗談のような面白映画」の代名詞として引き合いに出されることがありますが、言葉で語らず演出で語らす技法は突出して本当に高いと思います。冒頭から30~1時間は殆どセリフなく、鑑賞会中も「全然セリフがない……」と声が漏れる程の潔さ。それでも展開がしっかり頭に入ってくる画作りは、何度見ても学ぶところが多いなと感じています。

ノローグが長い割に視聴者側を置いてきぼりにしがちな某鬼を退治するアニメとは対局にいるように感じました。同じアクションでもいろいろあるものだ、と。本物を生み出せる人たちが集まって、本気で破天荒を作ったらこうなると見せつけられる思いです。

また破天荒ながらもストーリーも結構しっかりしていて、特攻野郎ニュークスの生き様や、故郷が消失していたことがわかったフェリオサの叫びは胸を打つものがあり、人の生き方とは、生きる場所とは、ということを考えさせられたりします。

バイクが宙を舞い、火を噴くギターが奏でられ、棒の先に括りつけられた人が爆弾で攻撃してくるトンデモ展開と、そんなしっかり泣かせてくる展開が両立して、それも両者ともそれなりの濃度で観客へ突きつけてくる様はさながらジェットコースターです。

先入観や趣味思想、日頃のストレス悩み事などすべて怒りのデスロードで吹き飛ばせと言わんばかりの力に身を委ね、鑑賞後ああ凄かった、よかったね、と幸福感を味わうのが、正しい怒りのデスロードの見方ではないかな、と思っています。

 

T.K

勢い:★★★★★
初見でのわかりやすさ:★★☆☆☆

 

解説聞きながらの視聴だったので初見でもざっくり内容わかりました。

しかし勢いすごいですね〜あんまり見ることなかったジャンルなので新鮮でした。

始終考えたら負けな感じのツッコミどころ満載で、火炎放射ギター男が出てきたあたりで「あっ、なるほどこれは考えるものではないんだな」と悟りました。

ウォーボーイのアクションというかボコられが中々派手でだいぶ痛そうですが、口にラッカースプレー吹き付けながらなかなかいい笑顔で死ぬさまは大変楽しそうでした。

 

加藤

セロン様にひれ伏したい度:★★★★★
ニュークスを保護したい度:★★★★★∞
もう一度観たい度:★★★☆☆
総評:★★★★☆

 

フェミニズムとか考えだすと答え出ないし、ぐるぐるするのでちょっと躊躇していたのですが……小林さんを見習って、少し真剣に考えてみようと思います!

モノとして消費される弱者

この映画は、私たちの社会の悪い部分をぎゅっと凝縮されて作られたような、そんな作品である。

舞台は核兵器による大量殺戮戦争勃発後、生活環境が汚染され、生存者たちで物資や資源を武力で奪い合う、文明が壊滅した社会だ。そんな社会だから健康な女は「子産み女」。権力者の子どもを産むための道具として扱われ、母乳まで生産させられる。

とここまで書いていくと、「消費されていた女が立ち上がるんだ! 」と思われるかもしれないが、そういうわけではない。消費されているのは女だけではないのである。「ウォーボーイ」という、核の影響で長くは生きられない男たちは特攻隊の如く、文字通り“身体ごと”ぶつかっていく戦術のなかで命を落としていく。

権力者だけが楽しく生きられる世界で、人々は自分の思考を放棄して、淡々とその日の暮らしを受け入れていく。持たない者は際限なく奪われ、持つ者だけが私腹を肥やしていく。

私たちが生活をしている社会の濃度を強めれば、まさにこの映画の世界が成立してしまうのだ。

求められる現代の男性像

そんな“消費物”である女性を救おうと、本作で奮闘するのがシャーリーズ・セロン演じる「フェリオサ」。

セロン様には一度でいいからひっぱたかれたい

髪を刈りこみ、失くした左腕前腕部には義手を装着している。セロンの凛々しさがぴったりのキャラクターだ。ほとんどのアクションは、彼女が主体で進んでいく。ごつい車を乗り回して、ハプニングを乗り越えていくその姿に目を奪われるのは確か。宝塚の男役のような華やかさはないけれど、惚れ惚れとしてしまうしなやかさがある。

しかし、女性の本来の強さだけを描きたかったのか、というと少し違うように感じる。その理由は、もう一人の主人公である、トム・ハーディ演じる「マックス」にある。彼は、フェリオサと共に戦い、何の見返りも求めずに去っていく。自分の目的を果たしたら、彼はほぼサポートに徹しているのだ。これはマックスに限った話ではない。ニコラス・ホルトが演じるウォーボーイ・ニュークスにも同じことがいえる。

フェリオサたち女性が敵だとみなす存在、つまりこれまで弱者を消耗品のように扱ってきた男たちとは対極にいるのだ。

本作で描かれた「真の男性像」は、男らしい女性を守る存在ではない。女性たち自身が闘えるようにサポートをしてくれる存在なのだ。

 

暴れたいなら、暴れてこい! そう強くいってくれる男性が、本当に男らしい男性なのかもしれない。

ニュークスへの庇護欲しか優勝しない

と、まあいろいろと考えてみたけれど、結局はニュークスへの「庇護欲」が優勝する。彼のひょろひょろの背中を守りたいという欲の前では、どんな高尚な議論も無駄。とにかく、私は彼を可愛がらなくてはいけないという義務に取りつかれてしまった。

権力者と目があって嬉しいニュークス。保護。

ニュークスはいつもかわいい。悪人に心酔していて鬱陶しくても、ドアでぶん殴られたあと一人でブラブラと走る後ろ姿も、俺はどうせ死んでしまうんだといってエンジンルームを必死に整備しているときも。

本当の幸せに少し触れることができたニュークスには、絶対に幸せになってほしかった。それに、ほとんどの不都合はニュークスが解決してくれた。確かに大した戦力にはならないけれど、運転ができて、エンジンの修理もできて……それなのに、自分には自信がないなんて!! たまらないでしょう!?

ニュークス輸血やめてるのになかなか死なないな? とか思うところもあったけれど、それでもニュークスにはフェリオサがトップに立つ国で、ささやかな幸せに触れて、朗らかに笑っていてほしかったのだ。

ニュークスが孫に見守られながら、天寿を全うする姿を観れなかったことが、唯一の心残りである。

※2020/11公開、2022/7/2再編集。動画や画像はお借りしています。