映画部活動報告

月1くらいで開催される映画部の活動報告場所

第24回 映画部記録(2023/2/10)

アスファルト』(2015年・フランス)

 

監督:サミュエル・ベンシェトリ

脚本:サミュエル・ベンシェトリ
   ガボル・ラソフ

キャストイザベル・ユペール
     ギュスタヴ・ケルヴェン
     ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
     タサディット・マンディ
     ジュール・ベンシェトリ
     マイケル・ピット

     ウェンリャン・ジンカン

 

予告:

参加者
T.H、K.Y、加藤

T.H

フランス映画独特の「間」の心地よさ:★★★☆☆
期待感と結果のギャップ:★★★☆☆
頭の中の「?」度:★★★★★

コメディっぽくないコメディ

とあるマンションの住人たちのまじめでおかしな日々をのぞくヒューマンコメディ。

とにかく出てくる人物が癖がありすぎる。何の仕事をしてるのかわからないケチな中年オヤジ。学校に通っている高校生と、その向かいに越してきた元映画女優。計算ミスで落下地点を間違えたアメリカ人宇宙飛行士。息子がどうやらなんかやらかしたらしい移民のお母さん。それぞれがたまたまの出会いを経て、このマンションを中心として出会って交流していく。

それぞれの出会いは、恋愛だったり、年の離れた異性との交流だったり、言葉も文化も異なる人との奇妙な同居だったり。それらがいわゆるシュールな笑いで、一瞬何が面白いのかもよくわからなかったりするが、この作品はなんとなく伝わってくる。そして、ぼんやりした映画の割に、なんだか飽きずに観られた。眠くならないというのも映画の良しあしのポイントだと思う。

コメディの要素は多分「滑稽」。いずれもやっていることが報われないが、どこか馬鹿にするというよりは応援したくなる感じがする。

もうひとつは偶然が引き起こす「ミスマッチ」。中年と看護師、高校生とベテラン女優、宇宙飛行士と異国の母。どれも男女で、年齢層もバラバラ。だから当然交流の動機や触れ合い方も変わる。

面白さはストーリーにかかってきてしまうが、きっとどんな結末になるのかは知らないままで見た方が面白い。それぞれの関係がどう変わっていくのかを素直に楽しんでもらえたら。

雨降って地固まる

ただし、作品全体を通してのテーマはよくわからなかった。

そもそも「アスファルト」という言葉は、道路のことではなく、ギリシャ語で「ダレない」といった意味らしい。液体のような物体がつながりあい、接着されて固まる、といった比喩みたいなものか。

そう考えると、偶然によって人と人とが結びついた、という意味にもとれる。

映画を見た後にメンバーとも話していたが、学校やサークルや会社の仲間というのも、その場に偶然居合わせた人同士の結びつきだ。それは、住む地域が同じだったり、学びたいものが共通しているという意味では必然のようで、でもそこを選ばなければ出会うことがなかったという意味では偶然でもある。すべての物事は偶然だが、出会った後にそこに意味を持たせたいときに必然と呼ぶ、という考え方もある。

いずれにしろ、偶然の出会いは人生でそれほど多くはない。この映画を通して、自分と年代や立場の異なる人物の偶然の出会いを、自分ごととして体験できるということも、映画の面白さとも言える。

フランス映画ならではというか、結論もはっきりしないし、何かが判明したり、人生の教訓が得られるというものでもない。人によっては時間の浪費でしかないだろうし、人によっては深い意味を見出したりもするだろう。

ただ、自分にとっては心地いい時間を過ごせた作品だった。得体のしれない登場人物を、喫茶店で隣のグループの話を盗み聞きするような気持ちで、たまたまそこに居合わせた自分がのぞき見する。そんな映画だった。

人を選ぶかもしれないが、自分には心に残るものがある、ほかのどの映画とも違う、唯一無二の作品だと思う。

こういう作品に出会わせてくれた、映画部の出会いにもなんだか感謝したくなった。

K.Y

孤独度:★★★★★
灰色度:★★★★★

灰色の世界に差し込む光

団地のスクエアに閉じ込められた孤独な人間たちの映画。団地の中で繰り広げられる様々な人物たちの群像劇。彼らは孤独で、他人を求めているのに、同じスクエアの中に入るのは一瞬なのだ。

映画の中では執拗に彼らを正面から、スクエアの形をしたフィルム(画角)で撮影している。会話のシーンでも。映画のよくある会話のシーンでの越しのシーンが全くない。
越しとは、手前に人物の背中の肩を入れて、向こうに人物を配置することで奥行きや会話している感じを出す手法。凄く一般的な手法だが、この映画では全く使用されていない。

越しがないから、彼らの孤独が強調される。2人以上の人物を配置する際も正面が基本である。そして2人が正面から横並びになるシーンも少なく、どこかよそよそしい雰囲気なのだ。

彼らの群像劇はハッピーエンドにはならない。不幸にもならないが、人物たちの交流は一瞬で、またそれぞれのスクエアに戻っていく。

彼らを繋ぐものは、屋根に遮られた狭い薄暗い空だけ。彼らは時折それを眺めている。

暗い灰色の空

団地のアスファルトの灰色、薄暗い灰色の空。孤独に生きる人物たちは、灰色に遮られ、灰色に満ちた世界の中でそれでも繋がらざるを得ない。

目には見えない、映像にも映っていない繋がりたいという想いだけが、この映画にはうっすらと光を差している。

加藤

何も残らないけどいいもの観ちゃった感:★★★★☆
泣ける度:★☆☆☆☆
もう一度観たい度:★★★☆☆

どこかじめっとした空気に、どんよりとした空。ぼんやりとしたグレーは、まさしくフランス映画。フランスというと、どこかパリっとした色使いが連想されるけれど、全然そんなことないよなぁと見るたびに思う。どんよりとした天候の反動(?)で、ファッションやらはカラフルになるのかしらん。

ひたすらシュール、なぜか愛しい

ある団地に住む人たちの群像劇である本作は、どこかシュールで、なんとなくおかしいシーンの連続。フランスのコメディって、もっと派手なはちゃめちゃなイメージが強いけれど、“なんか笑っちゃう”こじんまりした作品も強いらしい。

団地のエレベーターにお金を払いたくないといった男は、その後すぐにけがをしてエレベーターが必要になったり、アメリカ人宇宙飛行士とマダムのちぐはぐなのに成立しちゃう数日の出来事だったり、仕事が決まらない女優と訳ありっぽい少年の友情だったり。

とにかく、何の意味があるのかいまいちわからない会話や、どうにも盛り上がらない展開が繰り広げられていく。でも、その“なんでもなさ”がどこか落ち着いて、友だちと「そういえばね」と噂話をしているような飽きなさがある。なんでもないような、すごく壮大なような……なんだか不思議な愛しさがあった。

人間ってみんな面倒くさい

自分のどこが面倒だと思う? と聞かれると困るけれど、みんなそれぞれに他人には理解されない細かいこだわりを持っているような気がする。
この映画に出てくる人たちは、紛れもなく面倒で変な人たちである。端的に言えば「変人」というやつだ。

こだわりが強くて、他人の意見を受け入れる気などサラサラない(マダムは例外として)。それでも、ちょっとした出会いをきっかけに、ちょっとだけ変わっていく。それは本当に些細で、なんなら少し変わった気がしているだけなのかもしれない。

大きく成長して、変化していくのは、少年漫画の主人公くらいだ。普通の人間は、主観では大きな変化に思えても、客観的に見たらそうでもないなんてことは普通にあるだろう。

融通の利かない男は、やさぐれた夜勤勤めの看護師と出会って、他人から見たらみっともないくらいにあがく。
売れない女優は高校生と出会って、自分が若いころそのままではないことに気づく。
そして、お互いにささいな1歩を踏み出してみる。彼らのこれからがどうなるかは分からないけれど、それは紛れもなく前向きな1歩なのだ。

映画や本や、舞台……そういったものに触れるとき、私たちは大きな意味を求めがちである。監督のつたえたかったことや、役者たちの思い入れや、作者の意図……そういったものをくみ取って、自分たちの行動に大きな意味を与えたがる節がある。
でも、“なんとなく”だって大きい収穫じゃんとも思う。

大きな1歩を踏み出すことは難しいし、勇気がいる。対して“なんとなく選んでみる”ことは意外と簡単だ。それでも、そのなんとなくで大きく何かが変わることだってあるかもしれない。

この映画は、私にとって“なんとなく”良かったもの。人に勧めるかと言われれば分からないけれど、たまに思い出してニヤニヤくらいはすると思う。そんな映画も、この世には必要なのだ。

 

※画像はお借りしています。