映画部活動報告

月1くらいで開催される映画部の活動報告場所

第26回 映画部記録(2023/4/21)

『大怪獣のあとしまつ』(2022年・日本)

監督三木聡

脚本三木聡

キャスト:山田涼介
     土屋太鳳
     濱田岳

 

予告:

参加者
T.H、K.Y、K.S、小林、加藤

T.H

中途半端度:★★★★★
ダメな映画度:★★★★☆
だから勉強になる度:★★★★★★★★★★

期待は裏切られた

タイトル「大怪獣のあとしまつ」と予告の段階から、特撮でよく扱われる怪獣がもしリアルに現れて死んでしまったらどうなる? というリアリティショーなのかなと思わせる面はあった。

たとえば「タイタニック」は豪華客船がリアルに沈没するまでの極限状態をひとりひとりの思いに寄り添って描いた「人」の物語。「インディペンデンスデイ」は地球を守るための国を超えた戦いを「国」と「個人」の両方から見ていく。

大災害は、話の持っていき方によってはシリアスにもホラーにもコメディにもなる。でも、この映画はその比率というか狙いがほんとうに見えにくい。

ストーリーとしては、ある日日本に怪獣が現れて、軍を挙げて戦い、不思議な光によって怪獣が死んだ。その怪獣の死体の始末をつけるという意味では、想像上のリアルを解決する物語だ。権力が大きいところから、総理大臣、各省庁の大臣、その下の実働部隊の偉い人たち、さらに現場の人たちというヒエラルキーがそれぞれ登場する。

偉い人たちの決断が失敗し、現場が痛快に事態を解決する、みたいな話ならそれはそれでいい。「踊る大捜査線」とか「パトレイバー2」とかが典型的だろうか。

権力者たちのこっけいさを描くのならそれでもいい。大真面目に頑張った結果ミスばかりというのはチャップリンとかにも通じる王道。

また、戦隊ものとか特撮ものは、政府とか権力者の存在がほとんど描かれず、正義のヒーローが出てきて解決してしまう。ある意味子供たちに一番近しいのが、こういうヒーローでもある(大人の世界のことはわからないからね)。

じゃあこの映画は? というと、視聴後の感覚としては政府も省庁も個人も、なんかいろいろバタバタやって、その結果としてこういうあとしまつになった、というだけの話。誰の努力も特に報われず、足の引っ張り合いだけは描かれたものの、なんかもやっとしたまま終わったという感じだった。

面白さをどこに見出すかと言えば、やっぱり権力者の醜くておかしな行動とか発言なんだろうとは思う。でも、それぞれのキャラがそんなに説明もされないままで、どこにも感情移入ができなかった。実は総理が秘書と同性不倫してたとか、大臣同士がSMメイトだったとかみたいなとんでもない秘密があればそれはそれで笑えたが、単に醜い中年どもがオヤジギャグを言い合ってるだけで、本当に意図が見えない。

でも、多分面白いと思って作ったんだろうと思う。だから、脚本も監督も、まあ失敗作だったとしか思えない。

映画を面白くするにはどうしたらいいのか

ドキュメンタリーみたいに事実を描いたり、小説みたいに物語の結末がとんでもなく感動的、というストーリーなら、結末に向けて盛り上げていく演出をすればいいので簡単だ。

ただ、この映画は結末がアレなだけに、本来ならばそこに向けた伏線をもっと張っていって、「ラスト5分、あなたは裏切られる」みたいな謳い文句で煽ればよかっただけだった。

そうならなかったのは、ひとえに脚本のつまらなさだと思う。キャラもストーリーも、特にセリフまわしがなんかリアリティがなくて違和感ばかり感じた。偽物感というか、ほんとに困ってる人がどこにいるのかも描かれないし。漁業組合が漁ができずにストを起こしてるシーンとか、異臭で死亡した人が出てきて社会問題化するとか、押井守なら絶対描くだろう。

そういう小さな出来事の積み重ねがないまま、会議室と現場と怪獣のシーンしかないから、どこまでも「リアリティ」がない。そこが最大の問題だったように思う。

で、見終わって友人たちとそういうことを話したりしながら、この映画のどこをどう変えたら面白くなるか、という勉強の題材としてはとてもいい映画なのかもしれないと思った。

撮影の技法とか画角とかはとても落ち着いていて悪くはないと思う(CGは別)。つまり、やはり役者の演技、セリフと、脚本が問題なのだと思うのだ。それをみんなで議論して、俺ならこう撮る、という改善を試みるには最適な映画なんじゃないだろうか。

俳優は豪華だし、セットなどにもお金がかかっている様子はある。だから、これをもし今後生かすのであれば、まさに映画として作ってしまったこの駄作の「あとしまつ」を考えるきっかけにする、というのが、これから日本映画を意欲を持って撮りたいと考えている若者とかの役に立つんじゃないかと思ったりする。

小林

笑える度:★☆☆☆☆
大人の事情度:★★★★★

ルールとは?

映画には観客と共有するルールが必要だと思っている。ルールというものは現実ではない。その映画の中のルールである。

ミッションインポッシブルならトムクルーズは走っている電車の上に乗ってアクションできるし、崖から落ちても生きている。最近のコナンもそうだ(笑)。この映画はそういうルールの中で作られた世界だということが、映画の序盤では特に重要である。

これはあるジャンルのお約束みたいなものでもある。アクション映画もそうだし、最近だと主人公が見ている側と話せるようなメタフィクションの作品もある。それも序盤でそういう映画なんですよっていうことが滲み出てくると良い。逆にこのルールをコントロールして、見ている側をコントロールしている映画もある。

「キャビン」というホラー映画は、序盤は典型的な怪しい屋敷で事件が起こる80年代ホラーで始まりながら、実はメタフィクションの世界だったというところでルールをコントロールしたオチで、観ている側を楽しませている。

その流れで見た時に「大怪獣のあとしまつ」はよくルールの置き所が分からない。官邸のシーンはベテラン役者の政治批判のような会話劇でもあるし、一方で主人公側の三角関係のような謎の真面目なドラマもあり、よく分からない。怪獣もどう見ても「ゴジラ」だし、最後のオチも「ウルトラマン」なのだが、ここもパロディにするなら、もっと特撮あるあるでギャクで攻めても良いはずだ。主人公の性格がよく分からないのはウルトラマンのハヤタ隊員のパクリだと思うのだが、やりすぎ感が無さすぎて、笑うところなのかよく分からない。

全体を同じトーンで演出するべきなのだが、そのチグハグさが全体的にどう笑って良いのか分からなくなっているところだと思う。大人の事情を感じさせるような部分もあるが、そこは守るべき映画の中のルールだし、ルールが守れていない映画は本当にメチャクチャになってしまっている典型的な作品のような気がする

加藤

ちぐはぐ度:★★★★☆
笑いどころがわからない度:★★★★★
もう一度観たい度:☆☆☆☆☆

お金払わなくてよかった♡

この一言につきる。加速していく不景気に、鑑賞料金の値上げに……ただでさえ、映画を楽しむには金がかかる日本。つまらない映画に存在意義がないとは言わないが、それは収穫があったものに限る。Z級映画には、Z級映画にしかない魅力がある。低クオリティでも、なにか引っかかるものがあれば、それは立派な作品なのだ。

さて、本作。ないよね。何もないんだよ、引っかかるところが。ムカつきと虚無感をフックと捉えられればいいけれど、一応この作品はコメディに分類されるはず。笑えもしないコメディなど、金を出して観る必要はないと思う。

サブスクがある時代に生きていてよかった♡ 余計なお金を払わなくてよかった♡

この映画の感想はこれに尽きる。

真面目に考えてみる

この映画が不評だったのは、なにより“ガッカリ感”が強かったからだと思う。つまり、プロモーションをしかけた時点で負けだった。センスのねープロモーションをしたのが敗因だってことだよ。

豪華キャストどーーん! 壮大な設定どーーーん! 幼いころから特撮に触れてきた日本人、めちゃくちゃ気になる要素どーーーーん!

予告では結構真面目な特撮作品が来るよ~~という匂わせが余計だった。ふたを開けてみれば、つまらん下ネタとギャグにどうでもいい三角関係。臨場感も緊張感もないキスシーン見て、どうしろって?

私がこれを面白そうだと劇場に足を運んだ人間なら、ガッカリというか絶望すると思う。睡眠不足で来ればよかった~! 意識失えるもん~~!ってなる。

もっと、某大ヒット特撮のパロ的くだらなさ満載の映画やるよ~~~みたいな宣伝されれば、ここまで「クソ」みたいな烙印おされなかったんだろうなぁと思うと、プロモーションの大切さがわかる。最初から超えるべきハードルが高かったから、失敗というイメージが強く残った。つまらないだろうと思って見ていれば、駄作として愛されたかもしれないのに。

作品の温度差がえぐい

大臣たちがどうでもいい話し合いをしているシーンと、主人公・アラタたちを取り巻くシーンの温度差がえげつない。演技の差もえげつない。

何が言いたいかというと、コメディは下手くそは出来ないってことだよ!!!!! テンポが悪すぎて、独りでも下手くそがいると全部崩れるんだよ!

そこを鑑みると、大臣たちの会話のテンポ(だけ)はとてもいい。みんなで見てたら、ほどよくツッコめそうなテンポで気持ちよく会話が進む。が、メイン3人の元カノ問題やらの話題になると、ひたすらつまらん“THE 演技”みたいなものを見せられて、シンプルに萎える。そういう作品ならそれでいいと思うけど、場面ごとに足並みが揃ってないと作品に歪みがうまれる。それによって、この作品はシュールさを失い、“無個性”になっている。結局はバランスや、突き抜け具合が大切なのだ。

もう一度観ようと思うことはもちろんないし、どのシーンが印象的だったと言われても困るくらいには記憶がない。ひたすらに、無味乾燥な映画だった。日本ではめちゃくちゃ面白いコメディ映画、作れる技量がもはやないのかもしれないという絶望だけが残った。

 

※画像はお借りしています。

第25回 映画部記録(2023/3/3)

『ベネデッタ』(2021年・フランス/オランダ)

監督ポール・ヴァーホーヴェン

脚本:デヴィッド・バーク
   ポール・ヴァーホーヴェン

キャスト:ヴィルジニー・エフィラ
     ダフネ・パタキア
     シャーロット・ランプリング
     ランベール・ウィルソン
     オリヴィエ・ラブルダン

 

予告:

参加者
T.H、K.Y、加藤

T.H

キリスト教のやばさ:★★★★★
視聴後の胸クソ悪さ:★★★★★★
二度と見たくない度:★★★★★★★★★★

世界最大の宗教のトップオブトップのやばさ

今回、メンバーが挙げてくれた候補の中で、自分ひとりでは絶対に見ないであろうということで本作に一票を投じた。事前情報からもなんとなく嫌なテーマとストーリーは想像がついたが、そのはるか斜め上を行く作品だった。

物語はベネデッタという修道女が、主の奇跡を「聖痕」というかたちで示し、聖人として主につかえる自分と、人間としての欲望を当時としては異端な同性同士で営んだ自分との間でどう生き抜いたかを描く、実話をもとにしたといわれる映画。

事前情報として、17世紀の同性愛の話、という印象が植え付けられていたが、個人的により強く感じたのは、どの世界にもある閉鎖空間の中で醸成されていく狂気と、宗教において必ず現れる権利欲の醜さだ。

「聖痕(スティグマ)」が現れたとされる聖人は実際に多数いるが、実はたいした傷じゃなく、手のひらから血が滲んている程度なことが多かった。それは「ムー」で折に触れてさんざん写真を見てきたからよくわかる。検索してみるといろいろ面白い(『聖痕のクエイサー』ばっか出てくるが)。

しかし「ベネデッタ」ではかなり深い傷をえぐったように描かれている。そこまでした理由づけとして、ベネデッタが見る夢(主の御言葉かもしれないが)の中での主(キリスト)からの言葉と、神父からの「痛みこそが主とつながる信仰である」という教えから、「痛み」が最大の信仰心を表すものであるということを、無垢な女性が都合よく解釈した結果起こしたでっちあげだと思えるように仕向けている。

今の科学をもってすれば、おそらくすべての聖痕はでっちあげだとわかってしまうだろう。だからこそ、当時の制約された中でどのようにその嘘を糾弾してきたのか、人間の残酷さや幼稚さ、リアルな「痛み」を描いて視聴者につきつけてきたのだと思う。

ただ、そんな「痛み」は別に娯楽としての映画では感じたくはなかった。スプラッターやサスペンスに含まれる気がする。

メッセージ性とかは下手に感じない方がいい映画

前提として、監督は聖痕伝説をでっちあげだと考えていたのだろうが、そこに人間関係やペスト流行といった社会情勢が絡み、必ずしも悪かったわけではないというふうに持っていきたかったのだろう。

ただ、映画素人の自分にとっては、見終わった後に「ロボコップ」の監督だったということを聞いて、ある意味納得できてしまったところもある。会場を出てちょっと頭がクラっとして頭痛がしたのは、ちょっと入り込みすぎたせいだった気がする。

ただ、誰に対して共感できたのかといわれると……同性愛がテーマの映画と言いつつ、その行為や拷問の中で強く自分が男性であることを痛感させられてしまったからかもしれない。ある種の罪の意識みたいなものも感じさせる。

ともかく、視聴後の胸糞の悪さでは近年の映画・ドラマ・漫画の中では群を抜く。そのくせ、なんか最後まで噓を貫き通したら聖人になれるのかもな、と思わされてしまったあたりがむかつく。

そして、途中に一切退屈な場面がなく、最近の映画でありがちな動画やテレビを意識した無意味な空白もないまま、一気に最後まで引き込まれて観てしまったほどによくできた構成だったことも、最後に付け加えておく。悔しいが、よくできた映画だった。

でも、おそらく人生で二度と見ることはないだろうなぁ……。

K.Y

バーホーベン度:★★★★★

勝手に周りが騒いでいるだけ

映画を観終わり、これはロボコップと同じだなぁ〜と思った。

この映画は周りが騒いでいるだけの映画なのだ。ベネデッタが神の力を得て、周りが権力争いでワーワーワーと喚く。民衆は煽動され、権力者は地に落ちる。

それはベネデッタを利用し、ベネデッタに翻弄されたものの末路なのだ。主人公が嘘か本物かはどうでもよく、その周りにいる人々の末路が映画で描かれるべき対象である。
思えばロボコップも同じだ。

ロボコップが機械なのか人間なのかが問題ではない。あいつは脳の一部を機械が利用しているだけなのかもしれないし、明確に自我を持っているという描写もない。

そんなロボコップを権力者たちは利用し、翻弄される。主人公のマーフィを殺した犯罪者たちはロボコップになって「復讐された」と思っているだけ。ただのプログラミングかもしれない。

バーホーベンは一貫して、何かを利用して動く人間たちを滑稽に描いている。1980年代に描いた未来も、2022年に描いた17世紀でも人間はいつも同じように滑稽なのかもしれない

加藤

狂ってる度:★★★★★
拍子抜け度:★★★★☆
エログロ度:★★★★★
もう一度観たい度:★★★★☆

同じ組織に属したくない女

K.Yさんがセレクトしてくれた本作。予告を見た私が期待していたのは「宗教という制約があるなかでの禁断の恋」だ。日々変わっていく世の中、同性婚についてさまざまな情報や意見が飛び交いまくっている昨今。これはいろいろと考えさせられる映画かもしれない、と真剣な気持ちで映画館に向かったんです。

間違ってましたね、私の決意。17世紀、修道院の秩序をぶっ壊したサークルクラッシャーの映画でした。

同性愛を押し出すか! って決めた宣伝担当はこの映画を観たのか? 観たうえで宣伝してるのか? 監督の名前や前作を観れば、「あっ(察し)」という感じではあるが、知らずに耽美系の映画を求めて観たら大事じゃねえか。

本作の主人公、ベネデッタ。同性の私から見ても、とにかく関わりたくない女すぎる。私があの修道院に居たら、絶対に距離を置くと思う。で、噂話をする。
「ベネデッタ?……あぁ、いい子なんだけどねぇ。いい子だけど、いまいち関わりたくないっていうか。」
洗濯物しながら、絶対にこういう話してると思う。いい人ではあることは間違いない。しかし、言語化できない“嫌な感じ”がどうしても払拭できないのだ。真面目な人柄であることは間違いないし、そんな噂話をしたら私が批判をされるかもしれない。しかし、ベネデッタと私が仲良くなることは絶対にないと断言できる。というか、ベネデッタは“典型的な”女が嫌いなタイプの女だと思う。

といっても、本作だけでは修道院の人間関係を把握することはできない。幼いころに修道院に入ったベネデッタは、同年代の少女たちとどのように生活していたのか。機械的に彼女らの生活は映し出されるため、なんとなく知ることはできるがそこには具体性がない。私たちはベネデッタの人柄を知ることはできないのである。

映画を観ただけの私から見たら、ベネデッタはただのサークルクラッシャーだ。彼女が何を満たしたかったのかは分からない。しかし、自分の飢えを満たすために身近な人間を切り捨てられる。そういう女だと感じた。

でも、こういうタイプの女ってモテるんですよねぇ……。彼女の飢えに気づいたら最後、満たしてあげたいって思っちゃうんだよ。この映画でそれに引っかかったのが、バルトロメアなわけですが。本作での一番の被害者は彼女であることは間違いない。彼女を守った挙句、裏切られて残酷な拷問を受けたのだから(このシーンはとにかく“痛かった”)。

まあベネデッタ以外は、全員被害者だと言えますが。

大切なのは自分を信じる力!

現在、私はボーイズグループを決めるための某オーディション番組を視聴している。観ていくうちにドハマりし、少年たちと涙を流したり歓声を上げたりするほどの入れ込み具合なのだが……その中で、私が特にイラッとするのは「自信がない」と発言されることだ。
アイドルになりたい気持ちに嘘はないだろう。しかし、そこでお前が自信を持たずに誰が応援するんだよ! と胸倉をつかんで言い聞かせたいくらいに腹立たしい気持ちになる。
そして、どんなに実力がなくても堂々とステージに立つ子は無条件に応援したくなる。下手だけど、努力はしたから魅せてやる! そんな気持ちを感じる子はやっぱり生き残るし、自信がなさそうな子はやはり落ちていく。自分を信じる力って、何よりも強いのだ。

ベネデッタは、とにかくこの「自分を信じる力」というものが強かった。神様を本当に信じていたのかは分からない。しかし、彼女は「神様を信じる自分」を信じていたのだ。
だから、そんな自分を信じない人たちを切り捨てていった。彼女のなかでは、彼女以上に神に近い存在はない。そう信じる強さが周りの人間を圧倒し、騒動に巻き込んでった。

まさに「私はか弱くてかわいい。だからみんなに愛される」と信じる、オタサーの姫の最強版なのである。

最初はそんなベネデッタの本性を知らず入れ込んでいたバルトロメアだったが、結局は彼女の自己陶酔を理解することはなかった。
だから、「私にだけは本当のことを言ってよ!」とすがりついた。一番言ってはいけないセリフだと気づかない時点で、バルトロメアはベネデッタと共存する権利を失ったのだ。
彼女と共に生きていくためには、心の底から彼女を信じてあがめるしかない。
「あなたは私のすべて」ではなく、「あなたは世界のすべて」と伝えなくてはいけないのだ。ベネデッタが自分を愛する以上に、彼女を信じて愛する人しか彼女の隣に居続けることはできない。
バルトロメアの持つ「互いに愛し愛される」という平凡な欲求は、ベネデッタには取るに足らないものだった。それだけの話である。

と、少し大きな話をしてみたものの、結局はエロ!グロ!最高!みたいな映画だった気がしてならない。

それにしても、17世紀ってお金を出して修道院に入る時代だったんですね。神の花嫁になれることを名誉とし、多額の寄付を差し出す。多くの民を、貧富など関係なく救うのが神だと思いがちではあるが、立派なビジネスである。そこは今も昔も変わらない。

 

※画像はお借りしています。

第24回 映画部記録(2023/2/10)

アスファルト』(2015年・フランス)

 

監督:サミュエル・ベンシェトリ

脚本:サミュエル・ベンシェトリ
   ガボル・ラソフ

キャストイザベル・ユペール
     ギュスタヴ・ケルヴェン
     ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
     タサディット・マンディ
     ジュール・ベンシェトリ
     マイケル・ピット

     ウェンリャン・ジンカン

 

予告:

参加者
T.H、K.Y、加藤

T.H

フランス映画独特の「間」の心地よさ:★★★☆☆
期待感と結果のギャップ:★★★☆☆
頭の中の「?」度:★★★★★

コメディっぽくないコメディ

とあるマンションの住人たちのまじめでおかしな日々をのぞくヒューマンコメディ。

とにかく出てくる人物が癖がありすぎる。何の仕事をしてるのかわからないケチな中年オヤジ。学校に通っている高校生と、その向かいに越してきた元映画女優。計算ミスで落下地点を間違えたアメリカ人宇宙飛行士。息子がどうやらなんかやらかしたらしい移民のお母さん。それぞれがたまたまの出会いを経て、このマンションを中心として出会って交流していく。

それぞれの出会いは、恋愛だったり、年の離れた異性との交流だったり、言葉も文化も異なる人との奇妙な同居だったり。それらがいわゆるシュールな笑いで、一瞬何が面白いのかもよくわからなかったりするが、この作品はなんとなく伝わってくる。そして、ぼんやりした映画の割に、なんだか飽きずに観られた。眠くならないというのも映画の良しあしのポイントだと思う。

コメディの要素は多分「滑稽」。いずれもやっていることが報われないが、どこか馬鹿にするというよりは応援したくなる感じがする。

もうひとつは偶然が引き起こす「ミスマッチ」。中年と看護師、高校生とベテラン女優、宇宙飛行士と異国の母。どれも男女で、年齢層もバラバラ。だから当然交流の動機や触れ合い方も変わる。

面白さはストーリーにかかってきてしまうが、きっとどんな結末になるのかは知らないままで見た方が面白い。それぞれの関係がどう変わっていくのかを素直に楽しんでもらえたら。

雨降って地固まる

ただし、作品全体を通してのテーマはよくわからなかった。

そもそも「アスファルト」という言葉は、道路のことではなく、ギリシャ語で「ダレない」といった意味らしい。液体のような物体がつながりあい、接着されて固まる、といった比喩みたいなものか。

そう考えると、偶然によって人と人とが結びついた、という意味にもとれる。

映画を見た後にメンバーとも話していたが、学校やサークルや会社の仲間というのも、その場に偶然居合わせた人同士の結びつきだ。それは、住む地域が同じだったり、学びたいものが共通しているという意味では必然のようで、でもそこを選ばなければ出会うことがなかったという意味では偶然でもある。すべての物事は偶然だが、出会った後にそこに意味を持たせたいときに必然と呼ぶ、という考え方もある。

いずれにしろ、偶然の出会いは人生でそれほど多くはない。この映画を通して、自分と年代や立場の異なる人物の偶然の出会いを、自分ごととして体験できるということも、映画の面白さとも言える。

フランス映画ならではというか、結論もはっきりしないし、何かが判明したり、人生の教訓が得られるというものでもない。人によっては時間の浪費でしかないだろうし、人によっては深い意味を見出したりもするだろう。

ただ、自分にとっては心地いい時間を過ごせた作品だった。得体のしれない登場人物を、喫茶店で隣のグループの話を盗み聞きするような気持ちで、たまたまそこに居合わせた自分がのぞき見する。そんな映画だった。

人を選ぶかもしれないが、自分には心に残るものがある、ほかのどの映画とも違う、唯一無二の作品だと思う。

こういう作品に出会わせてくれた、映画部の出会いにもなんだか感謝したくなった。

K.Y

孤独度:★★★★★
灰色度:★★★★★

灰色の世界に差し込む光

団地のスクエアに閉じ込められた孤独な人間たちの映画。団地の中で繰り広げられる様々な人物たちの群像劇。彼らは孤独で、他人を求めているのに、同じスクエアの中に入るのは一瞬なのだ。

映画の中では執拗に彼らを正面から、スクエアの形をしたフィルム(画角)で撮影している。会話のシーンでも。映画のよくある会話のシーンでの越しのシーンが全くない。
越しとは、手前に人物の背中の肩を入れて、向こうに人物を配置することで奥行きや会話している感じを出す手法。凄く一般的な手法だが、この映画では全く使用されていない。

越しがないから、彼らの孤独が強調される。2人以上の人物を配置する際も正面が基本である。そして2人が正面から横並びになるシーンも少なく、どこかよそよそしい雰囲気なのだ。

彼らの群像劇はハッピーエンドにはならない。不幸にもならないが、人物たちの交流は一瞬で、またそれぞれのスクエアに戻っていく。

彼らを繋ぐものは、屋根に遮られた狭い薄暗い空だけ。彼らは時折それを眺めている。

暗い灰色の空

団地のアスファルトの灰色、薄暗い灰色の空。孤独に生きる人物たちは、灰色に遮られ、灰色に満ちた世界の中でそれでも繋がらざるを得ない。

目には見えない、映像にも映っていない繋がりたいという想いだけが、この映画にはうっすらと光を差している。

加藤

何も残らないけどいいもの観ちゃった感:★★★★☆
泣ける度:★☆☆☆☆
もう一度観たい度:★★★☆☆

どこかじめっとした空気に、どんよりとした空。ぼんやりとしたグレーは、まさしくフランス映画。フランスというと、どこかパリっとした色使いが連想されるけれど、全然そんなことないよなぁと見るたびに思う。どんよりとした天候の反動(?)で、ファッションやらはカラフルになるのかしらん。

ひたすらシュール、なぜか愛しい

ある団地に住む人たちの群像劇である本作は、どこかシュールで、なんとなくおかしいシーンの連続。フランスのコメディって、もっと派手なはちゃめちゃなイメージが強いけれど、“なんか笑っちゃう”こじんまりした作品も強いらしい。

団地のエレベーターにお金を払いたくないといった男は、その後すぐにけがをしてエレベーターが必要になったり、アメリカ人宇宙飛行士とマダムのちぐはぐなのに成立しちゃう数日の出来事だったり、仕事が決まらない女優と訳ありっぽい少年の友情だったり。

とにかく、何の意味があるのかいまいちわからない会話や、どうにも盛り上がらない展開が繰り広げられていく。でも、その“なんでもなさ”がどこか落ち着いて、友だちと「そういえばね」と噂話をしているような飽きなさがある。なんでもないような、すごく壮大なような……なんだか不思議な愛しさがあった。

人間ってみんな面倒くさい

自分のどこが面倒だと思う? と聞かれると困るけれど、みんなそれぞれに他人には理解されない細かいこだわりを持っているような気がする。
この映画に出てくる人たちは、紛れもなく面倒で変な人たちである。端的に言えば「変人」というやつだ。

こだわりが強くて、他人の意見を受け入れる気などサラサラない(マダムは例外として)。それでも、ちょっとした出会いをきっかけに、ちょっとだけ変わっていく。それは本当に些細で、なんなら少し変わった気がしているだけなのかもしれない。

大きく成長して、変化していくのは、少年漫画の主人公くらいだ。普通の人間は、主観では大きな変化に思えても、客観的に見たらそうでもないなんてことは普通にあるだろう。

融通の利かない男は、やさぐれた夜勤勤めの看護師と出会って、他人から見たらみっともないくらいにあがく。
売れない女優は高校生と出会って、自分が若いころそのままではないことに気づく。
そして、お互いにささいな1歩を踏み出してみる。彼らのこれからがどうなるかは分からないけれど、それは紛れもなく前向きな1歩なのだ。

映画や本や、舞台……そういったものに触れるとき、私たちは大きな意味を求めがちである。監督のつたえたかったことや、役者たちの思い入れや、作者の意図……そういったものをくみ取って、自分たちの行動に大きな意味を与えたがる節がある。
でも、“なんとなく”だって大きい収穫じゃんとも思う。

大きな1歩を踏み出すことは難しいし、勇気がいる。対して“なんとなく選んでみる”ことは意外と簡単だ。それでも、そのなんとなくで大きく何かが変わることだってあるかもしれない。

この映画は、私にとって“なんとなく”良かったもの。人に勧めるかと言われれば分からないけれど、たまに思い出してニヤニヤくらいはすると思う。そんな映画も、この世には必要なのだ。

 

※画像はお借りしています。

第23回 映画部記録(2022/12/29)

『シスター 夏のわかれ道』(2021年・中国

 

監督:イン・ルオシン

脚本:ヨウ・シャオイン

キャスト:チャン・ツィフォン(『この夏の先には』『チィファの手紙』)

     シャオ・ヤン

     ジュー・ユエンユエン

     ダレン・キム

     トゥアン・ポー

     ウェンリャン・ジンカン

公式サイト:

https://movies.shochiku.co.jp/sister/

予告:

参加者
T.H、K.Y、F.M、加藤

T.H

中国でこれを放映できた理由はラストでわかる?

役者の演技:★★★★★
一人っ子政策の闇度:★★★★★
プロパガンダ度:?

知られざる本土の暮らしは予想通り

中国映画というと、自分にはリーさんとジャッキーさんとサモハンさんのイメージが強くて、破天荒で落ち着きのない人ばかり、田舎の貧しさが半端ない、という思い込みからスタートした「シスター」。

ストーリーとしては、家を離れた両親が事故で亡くなり、残された幼稚園児の弟の面倒を見なければならなくなった、医者志望の女の子と弟の生きる道、という感じ。

脚本的に出てくる人たちが何らかのつながりがあって、見ていて飽きない。事故時に運転していた人も身近、面倒を見てくれた叔父や叔母、いとこなども関わってきて、最後まで入れ替わりながらうまくつながっているなという印象だ。

冒頭の両親の葬式シーンで親類が麻雀をやってるあたりから、結構赤裸々に中国本土の風俗を描いてるんだろうなと思っていたけど、住宅事情、結婚、恋愛、家庭の格差、そして一人っ子政策の中で生まれた女子の扱いなどはなかなかきついものがある。

調べてみたら、監督も脚本も女性だったらしい。男が徹底的にダメに描かれているところにはなんの異論もない。ヒモみたいな叔父、実はセクハラしてた叔父、金のことばかり言う叔母(でも実は優しい)、飲酒運転をもみ消した運転手などなど、全員ダメ男ばっかで呆れるが、これが共感を呼ぶということは、私たちのイメージどおりの家父長制の中国の姿はあまり変わってはいないんだろう(まあ、仕方ないかもしれないけど)。

それらの前提にあるのが一人っ子政策の功罪。主人公は親の都合で長女なのにないものにされそうになり、叔父は次男ということで当時から何の自由も教育も与えられずクズに育った。その点で、このふたりの共感関係はなんとなく伝わる(泥沼恋愛にならなくてよかったとつくづく思う)。

そして、ひとりで生きていくために努力する主人公に、自分がないがしろにされた理由でもある跡取り息子を押しつけられるという不条理極まりない展開もやはり、政策に対する強いメッセージだとは思う。

社会批判か、プロパガンダか、あるいはその両方か

ただし、最終的に金持ちが育てるのが幸せという養子の考え方や、いろいろあって主人公が自分の人生と弟の人生(自分の人生でもあるが)、どっちを選ぶのか、といったところには、少し引っ掛かりがあったことも事実。

最後の最後で、プー太郎だった叔父がなんかいいやつに見えるところとか、血のつながりを強烈に感じさせるところとか、やはり女性は社会進出することができない、という裏のメッセージと取れなくもない。

素直に登場人物の思いと決断を尊重すればそのまま感動の物語として終われるのだが、この姉弟を待ち受ける困難はむしろここから。

そして、その行く末として、最初から主人公の面倒を見てきて、弟(主人公の父)の進学のために自らの学業を諦めた叔母の姿と重なってしまうと、なんかうーんと思ってしまう。

おそらく監督は、その辺も含めて狭い範囲の中で自分の幸せを模索して、それでも抜け出せないという中国社会の闇の部分を描いているが、それでも幸せに生きよう、みたいに持っていきたかったのか、最大限の皮肉としてハッピーエンド風に見せたのかはなかなか読み取りにくい。

個人の主観としては、親世代と娘世代の2代にわたって、未だ中国は自由がないということを見せたかったのだろうと思う。こういう社会は世代が変わらないと大きくは変わらない。だから、反面教師として次の世代=いまの若者に対して、表も裏も含めたメッセージを伝えたかったのかな、と思う。

ここまでいろいろ考えさせてくれるのも、中国の特異な政策あってこそであり、資本主義国家にはここまでの制約はない。だからこそ、物語の根底にある圧倒的な不幸が題材にしやすい面もあるかもしれない。

それはそれとして、脚本も役者も本当に自然でうまくて、もっともっといろいろな映画を見てみたいと思わせるだけの魅力はあった。恋愛、ホラー、サスペンスなどなど、いろいろ興味が惹かれるきっかけになる1本だった。

 

K.Y

オチが凄い度:★☆☆☆☆
考えさせられる度:★★★★☆

映画の中の価値ある過程

映画のラストシーンというのは、凄く意味あるものだと捉えられることが多い。ネタバレという言葉が横行するように、オチや結末というのが映画の核心。テーマであるかのように。だが「シスター」を見ているとオチなんて、何の意味もないのだと気づく。

両親の事故をきっかけに幼い弟の面倒を見ることになった姉。最初は弟を養子に出そうとしていたが、ラストでは弟と一緒に生活を共にすることを選ぶことになる。

このオチを聞いてもなんの面白味もない、ありふれたストーリーだ。そして映画を見た人はストレートに弟と暮らす道を選んだ姉に共感するのだろうか?

執拗に描かれる「自分の人生を生きろ」と言うメッセージ。果たして弟と一緒に暮らすことに血縁の面倒を見る以上の何が残っているのだろうか。結婚まで約束していたような彼氏とも別れて、あんなに一生懸命勉強していた医師への道はどうなったのか?叔母が涙を流してまで、「自分の人生を生きろ」と言ったのは何のためのシーンだったのだろうか……。

映画は2時間、執拗に姉が面倒を見ざるを得ない状況に追い込んでいく。叔母もダメ、叔父もダメ、新しい家族も上手く行かなそう…その過程にこそ、この映画で伝えたいテーマがある。

映画を2時間見るとはオチを知ることではなくて、他人の人生を体験する時間なのだ。他人の人生を体験した上で、あの結末の先に一体何があるのか、この映画を体験したものだけが考えられる未来がある。

 

加藤

家父長制はクソ:★★★★★
どうにもならない絶望度:★★★★★
もう一度観たい度:★★☆☆☆

当然のように与えられた役を捨てたい

「お姉ちゃんだから」
そのたった一言で、これまでまともに顔を合わせたことがない弟を引き取れと言われる絶望。幼い弟を残して死んでいった両親たち、同情していると言いながらも完全に他人事な親戚たち。
「育ててやったら、将来この子が恩返しをしてくれるぞ」
酔っぱらっているであろうオッサンたちが口にする無責任な言葉に、怒りを覚えた。

「女だから、学歴は必要以上にいらない」
「女だから、家を継がれても……」

たくさんの“女だから”にがんじがらめになりながらも、ようやく自分のために一歩踏み出そうとしたところに起きた両親の事故死。幼い弟を引き取るのが筋だろうが、そんなことをしたら自分の夢は叶えられない。しかし、弟との時間を重ねるほどに、幼い弟への愛しさは募っていくわけで……。

親戚に頼もうと決めて叔父に預けてみてもダメ、自分の家庭だけでいっぱいいっぱいの叔母には結局頼めない。ようやく引き取ってくれると申し出てくれた富豪は見つけたものの、本当に弟を幸せにしてくれるのか確信が持てない。

結局“私が私でいるため”には、「弟との生活」を選択するしかないような気がする。こんなの、全く希望のあるエンディングだと思えない。女にかけられた“呪い”だと思う。

一人っ子政策」と家父長制によって生じたゆがみや、女性の生きづらさ。女だからという理由で存在を消されそうになっても、憎みきれない家族。自分だけを頼りにしている弟の存在。主人公が抱えている問題は、あまりにも重すぎる。

家族だから、愛してしまうからという綺麗事だけでは片づけられない「女/男だから」「女/男なのに」という呪いのことを、私たちはもっと真剣に考えるべきだと思う。

それがさまざまな制約があっただろうなかで、この映画を作り上げた制作陣への最大のリスペクトになるのではないだろうか。

 

※画像はお借りしています。

【2022年】マイベストムービー トップ5

それぞれ好きなジャンルがちがう・年代も違う、ただ映画を観ることが好きな人たちが集まっている映画部。

時おり観た映画の報告なども行っていますが、せっかくなら……ということで、2022年にそれぞれどんな作品と出会ったのか、教えていただきました!

T・H

劇場で鑑賞した作品 トップ5

  1. ONE PIECE FILM RED
  2. 劇場版 仮面ライダーバイス/暴太郎戦隊ドンブラザーズ
  3. ウィジャ・シャーク2

ONE PIECE

圧倒的な音響とAdoの歌声、これまで動いた姿が見られなかったシャンクス海賊団の姿などに、ファンとして圧倒された。

Adoもきちんと歌を聞いたことはなかったが、うまさも存在感もすごい。ウタというキャラ自体、完全にあて書きされていて、この映画のためにどれだけ力が注がれているかも伝わる。これは映画館で見るべき映画だった。

しかし、ろくな映画を見てないなぁ……

配信で鑑賞した作品 トップ5

  1. レディ・プレーヤー1
  2. イコライザー
  3. スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム

もっとしっとりした映画も見たかったが、気持ち的にあまり落ち込んだりしたくないところもあり、スリラーとかホラーとかはあまり見る気がしなかった。

その中では、「レディ・プレーヤー1」はゲーマーサイドから見るととてもいい映画だった。

劇場・配信含めて「観なくても良かった!」作品 トップ5

もちろん、インクレディブル・バルク、ランドシャークなどなど。だからこそ、この「映画部」があるわけで。一人じゃ絶対見ない。

なぜ、そう思いましたか?

人生のあらゆる出来事に損など存在しない!

でないと、2時間の損失が許せなくてやってられない。

K・Y

劇場で鑑賞した作品 トップ5

  1. ハッチング 孵化

心の中で孵化するモンスターを描いた傑作

配信で鑑賞した作品 トップ5

  1. 人魚伝説

美しく残酷な人間の物語。幻の映画が配信で見やすくなった

劇場・配信含めて「観なくても良かった!」作品 トップ5

  1. シン・ウルトラマン

なぜ、そう思いましたか?

新しさが全くない

加藤

劇場で鑑賞した作品 トップ5

  1. ハッチング―孵化―・RRR
  2. ウィジャ・シャーク2
  3. NOPE/ノープ・LAMB/ラム
  4. パリ13区
  5. HiGH&LOW THE WORST X

ハッチング―孵化―

出会えたことに感謝したいくらいの名作!作品全体に漂う雰囲気も演出もすべてが好み過ぎた。

RRR

翻訳も素晴らしかったし、大正解のインド映画!!という空気感がとても良かった。内容としてはとてもまじめだったけれど、アクションシーンは重ねるごとに豪快さを増していって何度拳を振り上げたい衝動を抑えたことか……。ダンスシーンが同じ人間とは思えないほどで、本当に最高すぎたので応援上映があるなら行きたい。

ウィジャ・シャーク2

劇場で観たという事実が大切。配信では味わえない、現場の空気を体感できたのが◎

NOPE/ノープ・LAMB/ラム

5作じゃなくなってるが、配信だったら意味わからなくて挫折してただろうなという意味では劇場で観て良かった作品。「NOPE」に関しては、チンパンジーの話だけで1本作れそう。作ってほしい。

パリ13区

劇場で観て本当に良かった作品!この映画を観ているとき、私は雑然としたパリの街中に居た。

HiGH&LOW THE WORST X

最後の最後にドハマりして通いまくった作品。マーベルも入れたいところだけど、邦画でもこのレベルのエンタメが作れる!という事実を鑑みて……。『新 感染』が好きな人には絶対にぶっ刺さる、シチュエーション系のアクションが多彩で最高に楽しめる。キャラクター設定は王道なところもあるが、それでいいしそれがいい。

配信で鑑賞した作品 トップ5

  1. ユ・ヨルの音楽アルバム

  2. リベンジ・スワップ

  3. ザッハトルテ

  4. インクレディブル・バル

  5. トゥー・ウィークス・ノーティス

ユ・ヨルの音楽アルバム

最初から最後真で大好きなシーンしかない。甘すぎず、切なすぎず、絶妙にリアルなのにすごくキラキラしてる。キャストが最高なのはもちろん、何気ないのに印象的なシーンの連続でうっとりする。

リベンジ・スワップ

今年配信のネトフリオリジナルのなかで断トツ面白かった!ティーンムービーらしさもあるのに、今までにない展開でぐいぐい引き込まれる。「復讐ではなにも解決しない」っていうけど、現実は復讐しないと憎まれっ子“だけ”が世にはばかるのが常なので、自分がスッキリするほうが大切なのでは?と思いなおすことができた。

ザッハトルテ

王道のラブストーリー。かわいくて、ただ癒される。良質なラブコメはなかなか生まれないのが現実なので、憶えておきたい作品の1つ。

インクレディブル・バル

クソ映画レジェンド。初見でも笑えるし、2回目でも笑えた。くそ演出多いし、なんの意味もないセリフが多すぎるけど、なんだかんだ好き。

トゥー・ウィークス・ノーティス

ヒュー・グラントが好きすぎることを思い出せた。ヒュー・グラントのジョークの言い方と表情が大好きで、本作はまさに! という感じの役すぎて、大好き!!!って叫びながら観てた。初めてサンドラ・ブラックかわいい~!って思ったのも収穫。

劇場・配信含めて「観なくても良かった!」作品 トップ5

  1. きょうのキラ君

  2. ライアー×ライアー

  3. 夏への扉 ―キミのいる未来へ―

  4. 私をくいとめて

  5. トップガン

なぜ、そう思いましたか?

本当に完走するのがツラかった(5回に分けて観た)。だからどうした?みたいな脈絡のなさ、キャラクターを好きになった理由の説得力のなさ、胸キュンもクソもねぇ。中川大志の無駄遣い。

1分ごとにツッコミが入れられるパーティーグッズ系ムービー。すべてにイライラするし、どこで胸キュンすればいいのか教えてほしかった。北斗のことは好きだけど、全部のシーン意味不明。『ラストレター』であんなに輝いてた森七菜はどこに行った?

なんでこれで行けると思ったのか教えてくれ。金をかけて、2時間の名作ダイジェスト動画作ってどうするの?

原作の上澄みだけをすくったつまらない映画。キャストも演出もつまらない。原作が好きだからガッカリした。

トップガン マーヴェリック』のために観たけど……THE 80年代のトム・クルーズの映画って感じ。悪いわけじゃないけど、良いところもない。『カクテル』と大体一緒では?

第22回 映画部記録(2022/11/4)

レディ・プレイヤー1』(2018年・アメリカ)

監督スティーヴン・スピルバーグ

脚本アーネスト・クライン
   ザック・ペン

キャスト:タイ・シェリダン
     オリヴィア・クック
     サイモン・ペッグ

 

予告:

参加者
T.H、K.Y、K.S、S.N、O.K、加藤

T.H

グッとくるストーリー度:★★★★★
キャラクターの豪華度:★★☆☆☆

4年も前の映画に今さら考察なんぞしてもしかたないんだが、初見ということで。

貧富の差が激しくなった未来、人類みんながVRゴーグルで遊ぶとあるゲームに夢中になっていた。そのゲームの開発者はすでに亡くなってしまったが、遺言としてゲーム内の秘密の隠し要素、いわゆる「イースターエッグ」を手にしたものが、このゲームのすべての権利=莫大な資産を手にするという、なんとなくアメリカンドリームっぽいストーリー。

で、主人公は貧しい生活から抜け出せない、ゲームだけはやたらうまい“いまどきの”eスポーツプロみたいな男子。社をあげてやっきになってゲームの権利を欲しがる汚い大人たちに、ゲームファンの青年とその仲間がゲームの中で他立ち向かう、という話。

現実世界でも、圧倒的財力を持った人には一般人がかなうすべはない。その下剋上を果たすための方法として、新しい技術であるVRゲームなら、権力にも勝てるんだ、というあたりがアメリカン。よく似た物語として「ソードアートオンライン」が出されるが、あちらは現実世界は一応充実してるのでちょっと違う(のちのちリアルとVRがごっちゃになるけど)。

共感してくれる誰かを探すための、開発者最後の「ミッション」

映画を見る前は、随所にちりばめられたゲームや別作品のキャラクターがこれでもかと出てくるだけの、フェスティバル的な映画だと思ってた。

でも、全然違った。正直キャラは知ってる人にしか響かないし見つけられない。本質はストーリーの方にあったと思う。

自分が惹かれたのは、ゲームを開発したハリデーが残したこのイースターエッグをめぐるゲーム内「ミッション」。この人こそが、実は本作の主人公だったように感じた。

このミッションは、寡黙で人見知りなゲーム開発者が、誰にも明かせなかった自分の人生に共感してくれる人を探すためのものだった。

レースゲームやアクションゲームを遊んでいるように見せつつ、実際には自分と似た性格、考え方の人間にしかわからないようなヒント(ハリデーの半生を振り返るライブラリ)にたどりつかなければ攻略できない謎解きアドベンチャー

そのヒントはすべて、彼自身のリアルな人生の分岐点。共同創業者との意見の相違、のちにその友の伴侶となる女性への恋、そして自身が作ったゲームが巨万の富を得るようになった現実に追いつけない思い。いずれもいち開発者として人生で苦悩した瞬間ばかり。ハリデーと似た考え、もしくは彼に共感してくれる人にしかたどり着けないようになっていた。

ハリデーが欲しかったのは、そういう友達のような存在。そんな人にゲームを任せたかったのだろう。そこに「僕みたいになるなよ」という教訓も込めつつ。

見終わったときにも話したけど、「ワンピース」のゴール・D・ロジャーのエピソードともとても似ている。「俺のすべてをそこに置いてきた」と宣言して斬首刑にされたロジャーのひとことで、ひとつなぎの財宝=ワンピースをめぐる大海賊時代が幕を開けたのと、ゲームの目的の方は本当にそっくりだ。

きっとハリデーと同じように、「ラフテル」には海にあこがれた少年時代のロジャーの映像電伝虫なんかがあるんだろうなぁ。

仮想現実と現実の両方を巧みに行き来する冒険

そもそも映画自体がフィクション=バーチャルなものなので、ゲーム内とリアルとの戦いなどはあまり区切りなく楽しめた。リアルでの生活のつらさをゲームで晴らし、ゲームだけでの強さがリアルにも反映されるというあたりは、最近のeスポーツブームなんかにも近い気がする。

ゲーム内を現実世界と思わせる手法は「インセプション」や「鬼滅の刃 無限列車編」などでも登場する。あえてゲーム内で死ぬことでログアウトして難を逃れるなど、ゲームならではの意外な突破口はハラハラさせられたしエンタメとしてもすごい。

バーチャルの友達やライバルと、リアルで出会って仲間になるという話もありがちだが、現実世界では報われない暮らしをしているという点では同じ。一攫千金のためにイースターエッグに挑戦している人がいるというのもリアルだ。

最後は純粋にゲームを愛した人が欲望しかないやつらに勝つ、というところは予定調和っぽくも思える。ただ、今回の戦いに一切かかわってこなかったものの、ハリデーの分岐点にずっとかかわってきた共同創業者が最後に出てくることで、すべてがつながった気がする。

ハリデーがうまく伝えられなかった思い、つらさが、イースターエッグを解いてすべてのプレイヤーが見届けた結末として、彼にも伝わったんだろう(多分)。口に出して言えばいいのに、それができずにゲームにしたためることしかできなかった。

友達だからこそ、あの時俺は本当はこう思っていたんだ、なんて口にするのは難しいということはある。歴史上、だいたいそういうことは遺書なり遺作なり、歴史研究家の手による恥ずかしい手紙が発掘されて初めてわかるものだ。

クリエイターの思いと、良かれと思って頑張った協力者の思いのズレ……そんな感傷は、もしかしたらスピルバーグ自身も映像制作の中で思っていることともリンクするのかもしれない、とか思ったり。考え過ぎか。

王道ストーリーの伸びしろはまだまだある

ストーリーとして振り返るとものすごくアメリカンドリームの王道でしかない。

しがない主人公がとある分野で活躍し、最終的には夢をかなえたり莫大な財産を手に入れたりする。「グーニーズ」は引っ越さないといけなくなった子供が、海賊の財宝を見つけることで生活をつなぎとめた。「ゴーストバスターズ」は無駄と言われた研究が実を結び富と名声を手に入れた(フィクションだが)。最後は美女とのキス。まあ、日本で思うよりも意味は大きくないと思うけど。

そんな陳腐なあらすじでも、まだまだ見せ方はあるということも感じられた。無駄に人を死なせたり、悲劇で終わったりする必要もない。誰もが幸せに終わる物語。だから見終わった後に楽しかったと思えたんだろう。

世代的にも、70年代生まれには刺さる表現やメタファーがいっぱいあったこともある。この辺は時代の文化に触れてきた人とそうでない人で温度差があるのは仕方ない気がする。ただ、キャラコラボをもりもりにして話題になっただけ、という見方はされたくないなとは思う。

個人的に一番印象に残ったのは、やはりハリデーの心理。主人公が幸せになる以上に、彼の思いが伝わる人が見つかった、ということの方に共感してしまった。

王道だからこそぼろも出るし、小手先の技だけではいまどきの映画好きには見透かされる。それを時代に合った技術も盛り込みながら、うまく消化しているところは、さすがスピルバーグだなと思えた。

そして、隠された要素の多さから、2回目、3回目を見る動機付けもされているあたり、やっぱりスピルバーグは商才にも優れてるなぁと思ったりもした。

 

K.Y

何というか感想が全く湧いてこない。(笑)面白いんだけど頭に残らない。

映画として尖ったところがないと言うんだろうか……。

全編を通してバーチャル空間よりも現実は素晴らしい。現実に最後は帰ってくるんだ。バーチャル空間で大企業の社長をブッ飛ばして、可愛い彼女とイチャイチャして現実で大成功する!

そっちの方が都合の良い夢だろ!(笑)というような展開が続いていく。

最後のオチが、ずーっとトレーラーハウスの中で青年が見ていた夢だったとか……。大企業の社長が窮屈な生活の中で、息抜きにモテない、何も持たない少年から這い上がる夢を見ていたとかの方が面白いではないか(ただの趣味な気もするが…)。

何か幸せなバーチャル空間と反対な主人公の境遇や抗えない状況の描写が弱くて、VRの世界に行かざるを得ない状況やそれでも現実に戻らなければいけないというようなドラマチックさに欠けていると思う。

典型的な状況説明はある。

主人公は叔母に育てられ、ヒモに殴られる。でも凄い典型的だし、バーチャル空間へ耽溺するには弱いし、逆に現実が素晴らしいと思う理由もいったいどうして湧いてくるのかよく分からない。

激しいアクションや手に汗握る逃亡劇で2時間見ていられる映画だけれど、もっとドラマチックな展開や描写で心が抉られるようなインパクトのある映画を見たい!

 

S.N

人々がバーチャルに生きるという、今すぐに来そうな近未来感がリアルだった!

80-90年代リスペクトの音楽やファッションが最高、アナログな中に生まれ始めた、バーチャル(ゲーム)を振り返えり人らしさを醸し出す演出が粋★

シンプルにチームプレーがハッピーエンドでスッキリ❣️ もう一度細かく視点を変えて観たい映画🎬でした😁

 

加藤

劇場で観る映画:★★★★★
もう一度観たい度:★★☆☆☆

あれ、こんなもんだった?

上映当時、めちゃくちゃ豪華な映画だ! と思って、わくわくしながら観たのを覚えている。スピルバーグで外れることはほとんどないし、映画ネタは盛りだくさん。しかもガンダムまで出演!(?)するとなったら、オタクの必修科目では? という強い気持ちに駆られてチケットをとったのだった。

で、今回。久しぶりに観たわけだが……正直、拍子抜けである。

そりゃあ、わが家はタブレットでしか配信は観れないよ? それにしても、こんなにスカスカな印象だった……?

なんというか、圧倒的に“何か”が足りない。好きな映画のキャラクターが出てくればそれなりにテンションは上がるが、それだけである。見終わってから「好きなシーンは? 」と聞かれると、非常に困る。しいて言えば「ガンダムが出てきたシーン」である。

映画としてのクオリティ=満足感ではない

誤解はしないでほしいのだが、これは映画としてのクオリティーが低いという話ではない。面白いと思うし、ストーリーはきちんとまとまっているし、謎解きだって面白い。納得もできる。
しかし、映画で満たされたい欲がまったく満たされないのだ。アメリカンドリームな壮大なストーリーに文句はない。開発者の孤独を描き、娯楽を愛する人たちに向けた、スピルバーグのメッセージが詰まっているとも思う。
しかし、これでは映画だからこそ得られる興奮が足りない。綺麗すぎて、面白みに欠けるのだ。一度観れば十分で、もう一度観たいというほどの熱情にかられない。

大画面で観る機会があれば観ようかなと思うだろうが、同時にたとえば「ボヘミアン・ラプソディー」が公開されたら、私は迷わずそちらを選ぶと思う。好みの問題もあるが、あの作品には大人数で観るからこそ生まれる一体感と当時のライブエイドに居たかのような没入感がある。本当に興奮できるのだ。
「シャイニング」のオマージュや諸々の映画ネタ。ゲームというバーチャル空間で出会ったからこそ、素性を知ることがなかった仲間たちとのリアルな出会い。
それぞれのキャラクターは面白いのに、なぜか組み合わせると中和されて強味がなくなる。
大衆的な作品としてはとてもまとまっているが、もっと出来るだろ! なんて求めてしまう。だって、映画ってもっと楽しくて、ひっかきまわしてくれるもんじゃん!

個人的に一番テンション上がったのは、ラストのサイモン・ペッグの登場である。2時間半弱の映画を観終わって覚えているのが、ガンダムサイモン・ペッグって……やっぱり物足りないよね。

 

※画像はお借りしています。

第21回 映画部記録(2022/9/30)

『インクレディブル・バルク』(2022年・日本)

監督:ルイス・ショーンブラン

脚本:キース・シャフナー

キャスト:テレンス・ローディング
     シェヴァウン・カストル
     ランダル・マローン
     ジュリエット・アンジェリ
     ジェド・ローウェン
     メガーン・ファルコネ

 

予告:

参加者
T.H、O.K、加藤

T.H

なにがどうしてこうなった?

3DCGの進化を確認できる度:★★★★★
悲しい恋の結末度:★★★☆☆
記憶に残らない度:★★★★★★★★★★

90年代の3DCGを回顧できる作品

20年ほど前、ゲーム業界に3Dがブームになったことがあった。その時に同時に模索されたのが3Dの映画。ポリゴンなどを駆使した映像は、作る手間がかかる割にクオリティが低く、当時は背景や一部のオブジェクトにしか使われていなかった。

その技術がいち早く採用されたのがゲーム業界。インタラクティブに動かせるキャラクターが、立体として存在し、当たり判定などもよりリアルに近く(決してリアルではない)なっていった。

この「バルク」という映画も、そんな時代を経験してきた人たちのノスタルジーから生まれたんじゃないかと思う。

バルクの動きのパターンはほとんど使いまわし。多分3パターンくらいしかなかった。街の映像などのクオリティは当時の3D作成ソフトのそれよりもはるかに劣る。これを2000年代に作るということは、メールの時代に手紙を書くことと似ている。だからこそ、その古さに共感し、新鮮さを感じるのだろう。

今の時代にこれだけ稚拙に見せることが逆にどれだけ難しいか。当時を知る人ならよくわかると思う。

例えば、3Dのゲームとして一世を風靡した「Dの食卓

サターン初期に発売された「真説・夢見館」

なので、このあたりを経験してきた人からすると、意外とまあこんなもんか、と思えてしまった。「下手くそ3Dで作ったよ、面白いだろ、ハッハー」という監督があえて狙ったであろう出オチで、まったく笑うことができなかった。

小物の科学者の悲哀を感じる

ストーリーは、科学技術開発に取り組む若者、その恋人、恋人の父親で彼の研究に期待している(実は利用している)学者というしごくシンプルなもの。結婚を申し込むために実績が欲しい、でもその要求が高く焦った彼は禁断の果実を……という話で、原作とはちょっとテイストが異なる。

残念ながら、研究自体にも学者の思惑にも、どこにも大義がない。父親も実績を上げればよりよい待遇になれると期待している時点でやはり下っ端であり、研究が成功したとしても何もなしえなかっただろう。世界征服くらい考えてほしかった。

残念ながら、最後の展開もごちゃごちゃしていてあまり記憶に残っていない。それくらいストーリーのスケールも小さければ、世界の中で起きた事象としても大したことはなかった。

その意味では、実は国家レベルの殺人兵器にもなりえた「ウィジャシャーク」や「ランドシャーク」の方が、圧倒的なスケール感を感じさせてくれただけマシだった。

こんな感想など、誰にも全く役に立つものではないが、当時の3DCGの技術を思い出してみたい人は流し見するくらいはいいかもしれない。ただ、誰にも何にも残らないし、ただの時間の無駄だ。監督自身もわかっているだろうから、レビューに星ひとつだけ残してあげて、あとはそっとしておいてあげてほしい。

 

加藤

世界が求めしZ級映画:★★★★★
期待超えてきた度:★★★★☆
もう一度観たい度:★★★☆☆

Z級映画に求めるクオリティ

Z級映画に求めるのは、壮大な世界観でも、素晴らしい映像美でもない。監督や役者のひたむきさのみである(個人の意見です)。そこに、空回り要素もひと振り……となると最高。陳腐さがたまらない。

ということで、本作の感想。正直、期待以上の映画である! 

サメ映画界隈に現れた某ミスティック・シールドお父さんをじわじわと楽しんでいたところに投下された「インクレディブル・バルク」。Z級映画界隈でも大いに話題になった。

それもそのはず、予告の映像があまりにも過ぎるのだ。この映画のクオリティは「ウィジャ・シャーク」以下だろう。きっと眠くなるはずだ。

そう思っていたが、2回も鑑賞した今となっては、そう考えた自分に張り手を食らわせたい。

何度見ても、冒頭の10分で死ぬほど笑えるのである。前回見ていたときも急に始まった公園での鬼ごっこに「死ぬwwwwww」となりながら見ていたが、やはり今回も「死ぬwwwwww大好きwwwwwww」となった。こんな冒頭から陳腐さと意味不明さで笑わせてくる映画を他に知らない。ヒャッハーくらいかな? でも、あの映画そこまで意味不明でもないんでね……比べるのはちょっと違うというか。

“安っぽさ”を楽しめるか否か

予告を見ればわかる通り、戦闘シーンはもちろん背景までフルCGである。めちゃくちゃ安っぽいタイプの。分かってはいたものの、しかしネズミや犬までCGだとは思ってないから!しかも、ブサイクってどういうことなの……映画史上ナンバーワンの可愛く無さでしょ、この犬。

最終的にはゴブリンまで出てくるし、トカゲはPCをいじってるし、何をしたいのかさっぱり分からない。どうして、こんな意味の分からないCGが出てくるのか謎なんだけど……大量にCGを発注したものの、使わなかったからと登場させたのだろうか。見るたび、思い出すたびに不思議で仕方がないんだよな。

そして、ロケットぶっ放しシーンにも触れておきたい。私はセックスの隠喩表現だと思っていたんだけれど、全然そんなことはなく。物理的にロケットをぶっ放していたのであった。「ロケット×下ネタ」はどう考えても隠喩以外にないだろ! と思うのだけれど……いや、あれは隠喩だったのもしれない。2回見ても、さっぱり意味が分からないけど。

でも、本当に世界文化遺産をぶっ壊してるから……高等すぎるギャグ(?)なんだろうね。きっと。

映像は本当にひどいし、こんな映像いらんだろ! みたいな部分が無くはないんだが、Z級映画にしてはヒロインが可愛かったのはポイントが高いと思う。女性陣は、珍しくみんな比較的可愛かったんじゃないかなぁ……。

カットインは教育番組みたいだし、映像の切り替えは小学生が作ったパワポみたいだけど、脚本自体はそこまで不満はなかった。

個人的には本当に楽しい時間だった。道連れにするという点においては、また誰かと観たい。

 

※画像はお借りしています。