第22回 映画部記録(2022/11/4)
『レディ・プレイヤー1』(2018年・アメリカ)
脚本:アーネスト・クライン
ザック・ペン
キャスト:タイ・シェリダン
オリヴィア・クック
サイモン・ペッグ
予告:
参加者
T.H、K.Y、K.S、S.N、O.K、加藤
T.H
グッとくるストーリー度:★★★★★
キャラクターの豪華度:★★☆☆☆
4年も前の映画に今さら考察なんぞしてもしかたないんだが、初見ということで。
貧富の差が激しくなった未来、人類みんながVRゴーグルで遊ぶとあるゲームに夢中になっていた。そのゲームの開発者はすでに亡くなってしまったが、遺言としてゲーム内の秘密の隠し要素、いわゆる「イースターエッグ」を手にしたものが、このゲームのすべての権利=莫大な資産を手にするという、なんとなくアメリカンドリームっぽいストーリー。
で、主人公は貧しい生活から抜け出せない、ゲームだけはやたらうまい“いまどきの”eスポーツプロみたいな男子。社をあげてやっきになってゲームの権利を欲しがる汚い大人たちに、ゲームファンの青年とその仲間がゲームの中で他立ち向かう、という話。
現実世界でも、圧倒的財力を持った人には一般人がかなうすべはない。その下剋上を果たすための方法として、新しい技術であるVRゲームなら、権力にも勝てるんだ、というあたりがアメリカン。よく似た物語として「ソードアートオンライン」が出されるが、あちらは現実世界は一応充実してるのでちょっと違う(のちのちリアルとVRがごっちゃになるけど)。
共感してくれる誰かを探すための、開発者最後の「ミッション」
映画を見る前は、随所にちりばめられたゲームや別作品のキャラクターがこれでもかと出てくるだけの、フェスティバル的な映画だと思ってた。
でも、全然違った。正直キャラは知ってる人にしか響かないし見つけられない。本質はストーリーの方にあったと思う。
自分が惹かれたのは、ゲームを開発したハリデーが残したこのイースターエッグをめぐるゲーム内「ミッション」。この人こそが、実は本作の主人公だったように感じた。
このミッションは、寡黙で人見知りなゲーム開発者が、誰にも明かせなかった自分の人生に共感してくれる人を探すためのものだった。
レースゲームやアクションゲームを遊んでいるように見せつつ、実際には自分と似た性格、考え方の人間にしかわからないようなヒント(ハリデーの半生を振り返るライブラリ)にたどりつかなければ攻略できない謎解きアドベンチャー。
そのヒントはすべて、彼自身のリアルな人生の分岐点。共同創業者との意見の相違、のちにその友の伴侶となる女性への恋、そして自身が作ったゲームが巨万の富を得るようになった現実に追いつけない思い。いずれもいち開発者として人生で苦悩した瞬間ばかり。ハリデーと似た考え、もしくは彼に共感してくれる人にしかたどり着けないようになっていた。
ハリデーが欲しかったのは、そういう友達のような存在。そんな人にゲームを任せたかったのだろう。そこに「僕みたいになるなよ」という教訓も込めつつ。
見終わったときにも話したけど、「ワンピース」のゴール・D・ロジャーのエピソードともとても似ている。「俺のすべてをそこに置いてきた」と宣言して斬首刑にされたロジャーのひとことで、ひとつなぎの財宝=ワンピースをめぐる大海賊時代が幕を開けたのと、ゲームの目的の方は本当にそっくりだ。
きっとハリデーと同じように、「ラフテル」には海にあこがれた少年時代のロジャーの映像電伝虫なんかがあるんだろうなぁ。
仮想現実と現実の両方を巧みに行き来する冒険
そもそも映画自体がフィクション=バーチャルなものなので、ゲーム内とリアルとの戦いなどはあまり区切りなく楽しめた。リアルでの生活のつらさをゲームで晴らし、ゲームだけでの強さがリアルにも反映されるというあたりは、最近のeスポーツブームなんかにも近い気がする。
ゲーム内を現実世界と思わせる手法は「インセプション」や「鬼滅の刃 無限列車編」などでも登場する。あえてゲーム内で死ぬことでログアウトして難を逃れるなど、ゲームならではの意外な突破口はハラハラさせられたしエンタメとしてもすごい。
バーチャルの友達やライバルと、リアルで出会って仲間になるという話もありがちだが、現実世界では報われない暮らしをしているという点では同じ。一攫千金のためにイースターエッグに挑戦している人がいるというのもリアルだ。
最後は純粋にゲームを愛した人が欲望しかないやつらに勝つ、というところは予定調和っぽくも思える。ただ、今回の戦いに一切かかわってこなかったものの、ハリデーの分岐点にずっとかかわってきた共同創業者が最後に出てくることで、すべてがつながった気がする。
ハリデーがうまく伝えられなかった思い、つらさが、イースターエッグを解いてすべてのプレイヤーが見届けた結末として、彼にも伝わったんだろう(多分)。口に出して言えばいいのに、それができずにゲームにしたためることしかできなかった。
友達だからこそ、あの時俺は本当はこう思っていたんだ、なんて口にするのは難しいということはある。歴史上、だいたいそういうことは遺書なり遺作なり、歴史研究家の手による恥ずかしい手紙が発掘されて初めてわかるものだ。
クリエイターの思いと、良かれと思って頑張った協力者の思いのズレ……そんな感傷は、もしかしたらスピルバーグ自身も映像制作の中で思っていることともリンクするのかもしれない、とか思ったり。考え過ぎか。
王道ストーリーの伸びしろはまだまだある
ストーリーとして振り返るとものすごくアメリカンドリームの王道でしかない。
しがない主人公がとある分野で活躍し、最終的には夢をかなえたり莫大な財産を手に入れたりする。「グーニーズ」は引っ越さないといけなくなった子供が、海賊の財宝を見つけることで生活をつなぎとめた。「ゴーストバスターズ」は無駄と言われた研究が実を結び富と名声を手に入れた(フィクションだが)。最後は美女とのキス。まあ、日本で思うよりも意味は大きくないと思うけど。
そんな陳腐なあらすじでも、まだまだ見せ方はあるということも感じられた。無駄に人を死なせたり、悲劇で終わったりする必要もない。誰もが幸せに終わる物語。だから見終わった後に楽しかったと思えたんだろう。
世代的にも、70年代生まれには刺さる表現やメタファーがいっぱいあったこともある。この辺は時代の文化に触れてきた人とそうでない人で温度差があるのは仕方ない気がする。ただ、キャラコラボをもりもりにして話題になっただけ、という見方はされたくないなとは思う。
個人的に一番印象に残ったのは、やはりハリデーの心理。主人公が幸せになる以上に、彼の思いが伝わる人が見つかった、ということの方に共感してしまった。
王道だからこそぼろも出るし、小手先の技だけではいまどきの映画好きには見透かされる。それを時代に合った技術も盛り込みながら、うまく消化しているところは、さすがスピルバーグだなと思えた。
そして、隠された要素の多さから、2回目、3回目を見る動機付けもされているあたり、やっぱりスピルバーグは商才にも優れてるなぁと思ったりもした。
K.Y
何というか感想が全く湧いてこない。(笑)面白いんだけど頭に残らない。
映画として尖ったところがないと言うんだろうか……。
全編を通してバーチャル空間よりも現実は素晴らしい。現実に最後は帰ってくるんだ。バーチャル空間で大企業の社長をブッ飛ばして、可愛い彼女とイチャイチャして現実で大成功する!
そっちの方が都合の良い夢だろ!(笑)というような展開が続いていく。
最後のオチが、ずーっとトレーラーハウスの中で青年が見ていた夢だったとか……。大企業の社長が窮屈な生活の中で、息抜きにモテない、何も持たない少年から這い上がる夢を見ていたとかの方が面白いではないか(ただの趣味な気もするが…)。
何か幸せなバーチャル空間と反対な主人公の境遇や抗えない状況の描写が弱くて、VRの世界に行かざるを得ない状況やそれでも現実に戻らなければいけないというようなドラマチックさに欠けていると思う。
典型的な状況説明はある。
主人公は叔母に育てられ、ヒモに殴られる。でも凄い典型的だし、バーチャル空間へ耽溺するには弱いし、逆に現実が素晴らしいと思う理由もいったいどうして湧いてくるのかよく分からない。
激しいアクションや手に汗握る逃亡劇で2時間見ていられる映画だけれど、もっとドラマチックな展開や描写で心が抉られるようなインパクトのある映画を見たい!
S.N
人々がバーチャルに生きるという、今すぐに来そうな近未来感がリアルだった!
80-90年代リスペクトの音楽やファッションが最高、アナログな中に生まれ始めた、バーチャル(ゲーム)を振り返えり人らしさを醸し出す演出が粋★
シンプルにチームプレーがハッピーエンドでスッキリ❣️ もう一度細かく視点を変えて観たい映画🎬でした😁
加藤
劇場で観る映画:★★★★★
もう一度観たい度:★★☆☆☆
あれ、こんなもんだった?
上映当時、めちゃくちゃ豪華な映画だ! と思って、わくわくしながら観たのを覚えている。スピルバーグで外れることはほとんどないし、映画ネタは盛りだくさん。しかもガンダムまで出演!(?)するとなったら、オタクの必修科目では? という強い気持ちに駆られてチケットをとったのだった。
で、今回。久しぶりに観たわけだが……正直、拍子抜けである。
そりゃあ、わが家はタブレットでしか配信は観れないよ? それにしても、こんなにスカスカな印象だった……?
なんというか、圧倒的に“何か”が足りない。好きな映画のキャラクターが出てくればそれなりにテンションは上がるが、それだけである。見終わってから「好きなシーンは? 」と聞かれると、非常に困る。しいて言えば「ガンダムが出てきたシーン」である。
映画としてのクオリティ=満足感ではない
誤解はしないでほしいのだが、これは映画としてのクオリティーが低いという話ではない。面白いと思うし、ストーリーはきちんとまとまっているし、謎解きだって面白い。納得もできる。
しかし、映画で満たされたい欲がまったく満たされないのだ。アメリカンドリームな壮大なストーリーに文句はない。開発者の孤独を描き、娯楽を愛する人たちに向けた、スピルバーグのメッセージが詰まっているとも思う。
しかし、これでは映画だからこそ得られる興奮が足りない。綺麗すぎて、面白みに欠けるのだ。一度観れば十分で、もう一度観たいというほどの熱情にかられない。
大画面で観る機会があれば観ようかなと思うだろうが、同時にたとえば「ボヘミアン・ラプソディー」が公開されたら、私は迷わずそちらを選ぶと思う。好みの問題もあるが、あの作品には大人数で観るからこそ生まれる一体感と当時のライブエイドに居たかのような没入感がある。本当に興奮できるのだ。
「シャイニング」のオマージュや諸々の映画ネタ。ゲームというバーチャル空間で出会ったからこそ、素性を知ることがなかった仲間たちとのリアルな出会い。
それぞれのキャラクターは面白いのに、なぜか組み合わせると中和されて強味がなくなる。
大衆的な作品としてはとてもまとまっているが、もっと出来るだろ! なんて求めてしまう。だって、映画ってもっと楽しくて、ひっかきまわしてくれるもんじゃん!
個人的に一番テンション上がったのは、ラストのサイモン・ペッグの登場である。2時間半弱の映画を観終わって覚えているのが、ガンダムとサイモン・ペッグって……やっぱり物足りないよね。
※画像はお借りしています。